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『ミステリガール』◆ミステリについて(2)

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳『ミステリガール』早川書房、HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS2013615日、1900円+税
 David Gordon, Mystery Girl, 2013
 
本書は、前に紹介した『二流小説家』の第2作。前作は評判ほどのレベルではなかったが、今回はどうだろうか。
 
あらすじを簡単に示しておこう。
小説家志望のサミュエル(サム)・コーンバーグは、勤めていた古書店が店をたたむことになり、失職してしまう。妻ララからは離婚を宣告され、職探しのあげくに見つけたのが探偵助手。私立探偵ソーラー・ロンスキーは超肥満体で強迫神経症を病んでいるものの、頭脳は明晰というアームチェア・デテクティブ。会うなりホームズ張りに、サムの現状を言い当てる。ラモーナ・ドゥーン(モナ・ノート)という美女を調査するが、数日後、サムの目の前で投身自殺を図る。このあと女たちの素性はめまぐるしく、二転三転するのだが・・・。
 
途中、ロンスキーの調査記録や、モナが書き残した最後の手紙、モナの夫ゼッド・ノートのDVD、ララの手紙など、前作と同じく独白で、一気に真相を語ってしまう(騙ってしまうところもあるが)。訳書で520ページ近い長篇だが、これらの関係者の長広舌ですべてが明らかになってしまう以上、映画や小説の薀蓄をダシにした単なる饒舌なドタバタ劇に過ぎない。
 
前作では文字通り「二流小説家」ではあったが、本書で三流以下であることを示した。
 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳『二流小説家』早川書房、HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS20113月、1900円+税ハヤカワ・ミステリ文庫HM2013125日、1000+税
 
 

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『辞書の仕事』◆辞書編纂について(2)

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 増井 元『辞書の仕事』岩波書店、岩波新書、20131018日、760円+税 [注×文×索×]
 
本書は、長年にわたり岩波書店で『広辞苑』『岩波国語辞典』などの国語辞書編纂に従事してきた著者が、辞書作りのエピソードを綴ったもの。辞書(特に国語辞典に限定)に関するとりとめのない話題が並列されるだけなので、全体の印象は茫漠としたものに留まる。
 
目次を紹介することにあまり意味はないが、簡略に示しておこう。
 第1章 辞書の楽しみ
 第2章 ことばの周辺
 第3章 辞書の仕組み
 第4章 辞典編集者になりますか
 第5章 辞書の宇宙へ

1章冒頭の項目「無人島の辞書」の中で、<外国(多分、英国)のある辞典の…編者が辞典のなかのことばについて、適切な用例、信頼できる典拠を求めようと、広く世間の人たちに呼びかけたところ、実に有益な情報を教えてくれる手紙が、何年にもわたって届きます。…その差出人を調べたところ、ある刑務所の囚人であった、というのですが、この話をどこで読んだのか、いま心当たりを探しても見当たりません。もしご存知の方がおいででしたら、どうぞ教えてください。>(pp.5-6
これは、OED編纂の中心人物であるジェームズ・マレー博士と、その編纂の最大の貢献者となったウィリアム・マイナー元アメリカ陸軍軍医のことだ。そのマイナーは長年精神病院に監禁されていたのであって、刑務所の囚人ではない。これはサイモン・ウィンチェスターの『博士と狂人』に詳述されている話だ。辞書編纂関係者ならおそらく必読の書だし、辞書編纂に関する本を編集しようとする人間なら当然知っておくべきレベルではないだろうか。
 
ずっと気になっていることがある。日本語に正書法は存在するのか、存在しないのであれば辞書ではどのように正誤を判断するのか、ということだ。
本書では、<いかに残念であろうとも、多くの人が普通に使っている「誤用」を辞典が正すことはほとんど不可能です。…実態に合わないのに規範を説くことが辞典の態度として正しいか、これはつねに辞典作りにかかわる最大難問です。/法則性を持った誤りは言葉の変化です。誤りが大多数の人の誤りであればそれも変化です。>(p.25)と記す。つまり正書法はない、と考えられようか。となれば、「誤用」(法則性を持った誤り)は「言葉の変化」なのだから、みんなが使ったらどんな使い方をしようとも立派な日本語ですよ、「誤用」だなんて野暮なことは言いませんよ、ということになろうか。
<辞書の利用者は、辞典編集者が考える以上に、辞書を規範として受け取ろうとしています。ことばの正しい書き方、正しい意味、正しい使い方、辞書を使う目的はもっぱらそれを知るため、確認するためなのです。>(p.24)一方で、<辞典編纂者は日本語の学者・研究者として、社会の言語の観察者・分析者の位置、客観的な位置に身を置きがちです。>(p.24)おそらく利用者と辞書編集者との辞書の目的意識の大きなギャップのゆえに、「ことばの正しい書き方、正しい意味、正しい使い方」の欠落した辞書に対し、人は役に立たないものと見なさざるを得ないと考え、見放してしまうのであろう。国語辞書に対し、利用者は「社会の言語の観察者・分析者の位置」なぞ求めてはいない。そんなことは、研究者の内輪でやっていてくれればいいのだ。観察・分析した研究成果としての「ことばの正しい書き方、正しい意味、正しい使い方」の判断しか求めていない。もちろん「正しい使い方」が複数あっても一向に構わない。「全然」が、実は戦後になってから否定形と結びつくようになったに過ぎなくても、そう記しておけばよい。しかし、小さいエビは皆「芝海老」と言い、大きいエビは皆「伊勢海老」と言うがごとき「誤用」に対し、「誤りが大多数の人の誤り」だから認めましょうというのは勘弁してほしい。それは誤りだと断言すべきなのだ。日本語に正書法がないとしても、ある辞典における「正しさ」であって構わない。A辞典ではこの言葉を誤用としているが、B辞典では正しいとしている、でいいではないか。そこで論議を起こせばいい。「客観的な位置に身を置」くと、そのような評価を含むような判断はできません、と言って逃げようとする学者・研究者がいる。そんな「辞典編纂者」による辞書なぞ不要の最たるものでしかない。
 
古語辞典ではないのなら、遠い過去の言葉も不要だ。明治時代・大正時代・昭和前期(戦前)の言葉すら、おそらく大半は不必要だ。それらは別に過去の言葉を集積した辞書を用意すればよい(需要があるかどうかは不明だが)。本書の著者は、その点でも大多数の利用者が求めるであろう国語辞典を読み違えている。「現代語」についての岩淵悦太郎の発言が象徴的だ。<祖父母の祖父母の世代のことばまで「現代語」と考えるべきなのだ>(p.190)と。何という勘違い! いったいいつの時代の言葉なのか。現時点で用いられている言葉を「現代語」と考えるのが自然であろう(言葉が移り変わっていくのも当然だ)。明治の言葉をも「現代語」と言いくるめることで、言葉は単に昆虫採集箱にピンで止められた屍骸でしかなくなってしまう。季語を充実させること(pp.59-63)なども結構だが、それはあくまでも昔の俳句を鑑賞するためよりは、現代に活かすことのできる季節の言葉を知らしめるためであろう。
勘違いの辞書編纂が続くのであれば、そうした国語辞書は終焉を迎える以外に途はない。
 
「あとがき」で、著者は<辞書を実際に作ることと結びついた応用辞書学・実践辞書学こそ辞典編集者が求めているもの>(p.221)だと記す。早く応用辞書学・実践辞書学によって、勘違いが解消されて、国語辞典の水準が格段に上がってほしいものだ。
 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
サイモン・ウィンチェスター/鈴木主税訳『博士と狂人:世界最高の辞書OEDの誕生秘話』早川書房、19994月、1800円→早川書房、ハヤカワ文庫NF20063月、740
Simon Winchester, The Professor and the Madman
 
 
◆[辞書編纂]関連ブックリスト
*辞書編纂関連のブックリストについてはこちらを参照。

 

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夢幻庵主人

Author:夢幻庵主人
隠居生活続行中。

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