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『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』◆検閲について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 山本武利GHQの検閲・諜報・宣伝工作』岩波書店、岩波現代全書0072013718日、2300円+税 [注○文×索△]
 
本書は、戦後の日本におけるGHQによる検閲がどのように実施されたのかを、GHQ側の資料をもとに明らかにしようとする。具体的な検閲事例はあまり多くは紹介されていない。むしろGHQ側の内部組織や、そこに日本人が大量に雇用され検閲実務を担当していたことなどの解明に力点が置かれる。ちなみに、最近始まったばかりの岩波現代全書というシリーズの一冊だが、「007」とはなかなか含蓄のある粋な番号だ。
最初に、本書の構成を示しておこう。
 はじめに――POCAPONと呼ばれた男・緒方竹虎 pp.viii-xx
 第1章 GHQSCAPによる多様な工作                    pp.1-36
 第2章 通信検閲と諜報工作                                     pp.37-59
 第3章 活字メディア検閲                                         pp.61-88
 第4章 放送・紙芝居・映画検閲                             pp.89-126
 第5章 日本人の対応                                                pp.127-193
 おわりに――功を奏した多重的ブラック化装置       pp.195-209
 
「はじめに」は、情報局総裁緒方竹虎がGHQに呼ばれ、検閲や新聞統治について意見聴取された話から始まるものの、あっけなく緒方の意見は一蹴されてしまう。そのあとは、アメリカからコードネーム「ポカポン」と名付けられた緒方竹虎に対するCIAの工作を述べて、本書の主題から逸れてしまう。第1章以降で緒方が再び登場することもない。
ただし面白いのは、<緒方は第4次吉田内閣で内閣官房長官に就任したとき、新情報機関構想を発表したが、それは日本版CIA構想とも呼ばれていた。>(p.xix)のだそうだ。いま話題の情報機関構想の戦後初の案か。注に出てくる吉田則昭『緒方竹虎とCIA』をこんど読んでみよう。
 
GHQにおける検閲・メディア統治の体制は、やや複雑である。単純化して示すと、表向きにはCIECivil Information and Education:民間情報教育局)が<啓蒙・指導やホワイト・プロパガンダ>を担当し、裏ではCCDCivil Censorship Detachment:民間〔民事〕検閲局)が<検閲やブラック・プロパガンダで直接統治を実行していた>(pp.206-7)のである。CCDの検閲で<最重要とみなされた郵便物はこの段階で、TOS([Technical Operations Section]:専門工作部)へ検査のために直接渡された。>(p.44)ちなみに「ブラック・プロパガンダ」は著者の好きな言葉らしく、既刊の『ブラック・プロパガンダ』に詳しい。本書での説明では、<ホワイト・プロパガンダでは、送り手が正体を現わし、受け手も送り手の意図を理解しつつ情報に接触する。ブラック・プロパガンダでは送り手の背後に実質の送り手である黒子の存在が隠される。そして受け手にニセ情報を本当だと思わせるテクニックが駆使される。>(p.206
CCDは検閲工作を通じて、日本人の秘密活動を摘発し、諜報を入手し、さらにメディアのコンテンツを統制する機能を持っていた。しかし検閲という観点から見ると、CCDは直接的、CIEは間接的であった。>(p.198
また上記TOSは、文字通りカウンター・スパイ組織そのものであった。<19478月には、TOSの機能がスパイ、騒動、サボタージュ、通信隠匿、破壊活動の情報を検閲活動から摘発することにあるとの文書が出た。>(p.54)そのため、戦前の左翼が秘密インキで書いた手紙を特殊インキで解読する技術を開発していた陸軍登戸研究所にいた者から<その技術を吸収し、共産党の検閲逃れを阻止せんとした。>(p.54
 
通信メディアの検閲の実態はどのようなものであったか。<通信メディアの検閲は占領直後からであった。19459月から4910月まで、即ちCCDの活動期>においては、<郵便は2億通、電報は13600万通開封され、電話は80万回も盗聴されていた。>(p.39)なお、CCD4911月に廃局となる。
この検閲の実作業は日本人が大量に動員されていた。<1947年のピーク時にCCDで働く日本人は8132人であったから、その大半の6000人以上が郵便検閲の第一線に立っていたと思われる。>(p.39
CCDは日本全国を3区に分け、それぞれ東京・大阪・福岡に本部を置き、さらに6か所に支部を置いて、きめ細かい検閲体制を敷いた(p.41)。
 
郵便検閲では、<問題がないと判断された郵便物はビニールテープで封がなされ、郵便局へ返される。>(p.45)さらに、<そこには検閲免除付きのCCDの封印が押されていたし、ビニールテープは当時の日本の市場には出回っていなかった。>(p.46)郵便検閲は秘密とされていたはずなのに、明らかに検閲した証拠をまきちらしていたのはどういうことだろう。
著者は、<他のメディア検閲では秘密を隠すのに躍起となっていたGHQが、このような目立つ形でかなり大量の開封郵便物を配達したのは、ファシズム国家でもなし得なかった全国規模の郵便検閲の実施への国際的な批判を予防するための措置であったとしか考えられない。>(p.46)とするが、「国際的な批判を予防するための措置」などなりえないのは明白だろう。そうではなくて、2億通もの郵便物を開封して検閲する膨大な手間を考えると、開封したことを隠すようなテクニックを使っているわけにはいかないだろうし、簡便な方法をとらざるを得なかっただけではないか。秘密保守と手間とのトレードオフの関係に過ぎないだろう。
永井荷風や山田風太郎らは日記に郵便検閲が行われているため遅配になっていることを記しているが(第2章注(5))、GHQが特にマークしていた左翼の筆頭、日本共産党関係者も気がつき、<郵便を避け、運び屋を使いはじめた。>p.55
 
電報検閲も小規模ながら実施されていた。<CCD時代に電信検閲の有効性に対してGHQ幹部からの期待が高まり、現場が最も緊張したのは、194721日のゼネスト前後であった。>(p.49
 
一方、新聞・出版、映画、ラジオ放送などのメディア検閲は、PPBPress, Pictorial and Broadcasting Division:プレス・映画・放送部〔課〕)が担当した。
PPB部門ではGHQの狙う統治目的に不都合な異物を被統治者の目から遮断、切除することに主眼が置かれていた。>(p.57)そして、<検閲は日本人には秘密とされたので、検閲の存在を示唆する情報の印刷物への掲載は厳禁とされた。…どこにも検閲の痕跡を残すことは許されなかった。>(p.70)したがって、「×××」とか、空白を設けることなど不可能だった。
 
新聞は事前検閲となると、すべての棒ゲラを提出し、さらに組みあがった状態でも検閲にかけられた。そこで修正指示が出ると、穴をあけたまま組めない以上、大変なことになったしまった。
PPBの行う全文の事前検閲は戦前には皆無であったので、戦中よりもきびしいとの認識が[朝日新聞の]社内的に広まった>(p.144)のである。
その後次第に事後検閲に移行していく。しかし、事後検閲になると、朝日新聞の<編集幹部は事前検閲時代よりも自己責任を問われると判断した。万一[プレス]コード違反と判断されて、発売禁止・回収命令が出た場合の経済的損失や軍事裁判送りは怖かったので、安全第一主義を>(p.147)取らざるを得なかったのであった。まさにメディアの「自己検閲」こそGHQの思う壺であった。
 
放送するときは、放送原稿をすべて提出しなめればならなかった。まだこのときはNHKのみで民間放送はなかったから、PPB部門がNHKの建物の中に陣取り、すべて目を光らせていた。
1946113日、天皇による新憲法公布の勅令放送がなされたさいには、その日本語の放送原稿の提出を待ってGHQNHKからの放送を許可した。/…日本政府を通じた天皇の国事行為といえども、天皇も日本人として特別扱いはされなかった。>(p.100
 
ではこうした膨大な人員と手間をかけた費用はどうしたのだろうか。
<日本政府から巨額の検閲費用を支出させたのは、それがアメリカの対日政策に役立つとの確信からであった。>p.208)との一文があるのみ。具体的にいくらの金額が、どのような名目でアメリカ側に支払われたのかは不明だ。
CCDの検閲部門で働いていた日本人はその高給に惹かれたようだ。しかし、結局は日本政府による間接的な雇用に過ぎなかったとも言える。
 
以前読んだ宮田昇『図書館に通う』に出ていた、CIE図書館が占領後USIS(文化交換局)に移管されてアメリカ文化センターと改称されたのだが、<アメリカの著作の翻訳を出している出版社のほとんどが、USISとなんらかの関係をもっていることであった。アメリカ文学全集がUSISの全面的バックアップによるものである>(同書p.103)のだった。本書とつなげてみると、CCDの検閲活動やCIEの宣伝活動が終了したあとも、メディアに対してアメリカが日本を支配しようとする構造は続いていたことがわかる。残念ながらこの辺については、本書では触れていないのだが。
 
いわばアメリカがその後、エシュロンだのプリズムだのを始めざるを得なくなったのも、検閲の誘惑に打ち勝てなかったからだろう。情報に対する飽くなき願望は果てしない消耗でしかないのだが。
 
注は主に出典表示。ただ表記方法に違和感あり。初出が「著者名(発行年)『書名』出版社名」となっているにもかかわらず、再出では「前掲『書名』」とある。本来は初出に対応して「著者名(発行年)」としたい。
【例】初出:山本武利(1996年)『占領期メディア分析』法政大学出版局
   再出:前掲『占領期メディア分析』 →山本(1996年)とすべき。
ただし、本書には引用文献一覧がなので不便。
ちなみに、第1章の注が一部本文の付番とずれが生じている。本文の注(3)以降だ〔下記参照〕。もし再版になったら、修正しておいて欲しい。
 
索引はあるが、不十分。GHQの各組織が一切でてこないのは解せない。あまつさえ、「ラヂオプレス」が本文の1か所(p.23)で「ラジオ・プレス」と誤記していたため、索引では「ラジオ・プレス」のまま。DTPによる自動的にページを拾う安易な索引作りのせいか、最近の索引はひたすら該当ページを記載するのみで、軽重の判断もなく、どのようなコンテクストで使われた用語なのかの判断もない、粗雑なものが多くて役に立たない。編集者は索引の作成方法について考え直した方がいいのでは。
 
最後に、<19459月から4910月まで、即ちCCDの活動期>(p.39)を描いているため、頻繁に組織も動いているし、出来事も錯綜している。巻末に詳細な年表を付してもらいたかった。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
吉田則昭『緒方竹虎とCIA:アメリカ公文書が語る保守政治家の実像』平凡社新書、20125月、780+税
山本武利『ブラック・プロパガンダ:謀略のラジオ』岩波書店、20025月、2900円+税
宮田昇『図書館に通う:当世「公立無料貸本屋」事情』みすず書房、2013517日、2200円+税
 
1章の注のずれは以下の通り。これらは出典を確認せずに、明白にわかる箇所だけである。実際の確認作業は、出典との照合作業も必要となろう。いまどきの編集者はそこまでやれるのかな?
【本文】p.9:右翼(3) →【注】(4)に該当<児玉誉士夫や大川周明などのリストである。>
p.9:憲兵隊(4) →【注】(5)に該当<憲兵隊のリストである。>
p.10:(7) →【注】(8)に該当
p.10:(8) →【注】(9)に該当
p.10:(9) →【注】(10)に該当
p.11:(11) →【注】(12)に該当
p.12:(12)<19483月のGHQの資料> →【注】(13)に該当<CCD,…1948.3.
p.12:(13) →【注】(14)に該当
p.18:(19) →【注】(18)もしくは(19)に該当
p.19:(20)<1945715日の第75号の特別リポート> 
→【注】(20)で正しいか? 注(20)には<FBIS, Radio Report on the Far East, Number 81, 1945.10.14>とある。
 
 
 

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