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『ハードボイルド徹底考証読本』◆ハードボイルドについて

某月某日、こんな本を読んだ。
 
小鷹信光、逢坂剛『ハードボイルド徹底考証読本』七つ森書館201395日、2300円+税 [注×文×索×]
 
本書は、小鷹信光、逢坂剛両氏による対談本であるが、小鷹氏のあとがきにあるように、単純に対談を文字起こしした安直な本ではない。<テープ起こしに始まり、担当編集者による大づかみな材料の取捨選択、配列のアレンジや継ぎ合わせの上にできあがった第一稿が、そのあとデータの補強や新発言の追加などを経て何度も姿、形を変えてふくらんでいった。書き下しよりも手間がかかったというのが本音である。>(p.270)すべての人名に生没年が付記されている点だけでもすごいと思ってしまう。恐らくは、編集者というより、小鷹氏の執念で入れたのかと思うが。
 
<逢坂さんはハメットの話やハードボイルド論に真っ向から取り組みたかったのではないだろうか。ところが私のほうは、アメリカ映画のことやアメリカ旅行の話を好きなだけやれそうだと楽しみにしていた。>(p.270)とあるように、ハードボイルドの小説ももちろん多く語られはするものの、むしろフィルムノワールや西部劇映画などにかなりのスペースが使われる。小説の話もすぐにどのように映画化されたか、という話題に逸れてしまう。ハメットの『赤い収穫』をテーマにした第4章など、ドナルド・E・ウェストレイクが脚本を書いた幻のシナリオを巡って、架空のキャスティングで盛り上がるばかり。したがって、タイトルにあるように「ハードボイルド徹底考証」がなされているのかと期待した向きには、やや不満が残るだろう。逢坂氏もまえがきで、<ハメットは、あたかも映画のスクリーンを眺め、そこに映し出される画像とセリフをそのまま、忠実に書き取るように小説を書いたのだ。>(p.10)と記して、辻褄を合わせているのだが。
 
ともあれ、例の諏訪部浩一『『マルタの鷹』講義』に端を発した改訳騒動の裏話は実に面白い。
小鷹氏はハヤカワ・ミステリ文庫に『マルタの鷹』を訳していたが、諏訪部氏が「Web英語青年」に連載していた「『マルタの鷹』講義」(20094月~20113)で、誤訳を数多く指摘される。早川書房の編集部に改訳を申し入れると、旧版の在庫2000部がはけない限り無理だと断られてしまう。しかし、3年で在庫がはけて、急遽20129に改訳版を出すことができた。
このことをテレビで取り上げられたそうで(日本テレビ「先輩ROCK YOU」)、その録画をネタに対談が弾む。なにしろ、「日本ハードボイルド界の父」と呼ばれる小鷹氏の訳が、三十代新進気鋭の英文学者に誤訳が「次々と暴かれる」、そして「決定的な指摘。…それは物語の世界観を左右する、重大な見落としでした。翻訳家として生きてきた40年。第一人者としてのプライドが」といった具合(pp.136-140)。
 
ちなみに、小鷹氏の『マルタの鷹』翻訳に際して自ら定めた「ハードボイルド翻訳作法三則」なるものが掲げられている(pp.144-5)。
①「彼、彼女」という代名詞をひとつも使わない。
②疑問符「?」を使わない。
③感嘆符「!」を使わない。
だが、改訳にあたって、①は破らざるをえなくなった。それは、サム・スペードが接する二人の女性に限って、常にフルネームでハメットは書いていたためだ。これも諏訪部氏の重要な指摘ではあった(pp.146-9)。
 
小鷹氏のハードボイルドに対する考え方。
<私はハードボイルドを文体や描写方法としてだけでは考えていないんです。ある一時代に限定された特定の思想とも思っていない。映画におけるフィルムノワールが明瞭にしてくれているように、ハードボイルドはいつの時代にもある。…それは時代が暗くなり、あらゆる物事が絶望に満ちてくると、たちまち光って見えるようになる。>(p.70
どの方向にも手詰まり状態の重苦しさに満ちたいまの時代が、まさにそうなのかもしれない。
 
逢坂氏の語るエピソード。
氏はかつて博報堂の広報室に勤務していた。マスコミからの取材はすべて広報を通すことになっていた。直木賞をとると取材がくる。本名の中浩正としてその電話をまず受ける。<仕方ないから一人二役をやるんです。「はあ、それでは逢坂剛の都合を聞いてきます」と言って、保留のボタンを押し、「ではおつなぎします」と言って自分が「はい、逢坂です」と電話に出る。>(p.23
逢坂氏の父は、時代小説の挿絵画家、中一弥氏(1911~)。なんと今年102歳なのに現役で、息子の小説の挿絵まで書いていると(pp.23-4)。
どうもハードボイルドよりも違うことに面白がってしまうらしい。
 
本書の中で、p.153の後ろから3行目の小鷹氏の発言の箇所で、レイアウトがおかしくなっている。この1行をそのまま書き出してみよう。
「な瞳にゲイル・ラッセル(192461)ですから。   女優だなあ。私の一番手はつぶら」
1行中に、上下が逆になっている。
これは実際のページを見ると一目瞭然なのだが、本文のテキストボックスを1ページに2つ作ってしまったため。恐らく組み上がった段階で追加・訂正が相次ぎ、次ページのテキストボックスがずれて前のページに入り込んでしまったのであろう(逆かもしれないが)。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
諏訪部浩一『『マルタの鷹』講義』研究社、20122月、2800円+税
 
 
◆[小鷹信光]関連ブックリスト
*小鷹信光による小説・訳書を除く著作リスト。訳書は100冊を優に超える。
 
小鷹信光『アメリカ暗黒史』三一書房、三一新書、1964
小鷹信光『メンズ・マガジン入門:男性雑誌の愉しみ方』早川書房、ハヤカワ・ライブラリ、1967年、300
小鷹信光『この猛烈な男たちと名言:すばらしいアメリカン・ビジネスの原動力』明文社、ナンバーワン・ブックス、1969年、320
◎小鷹信光『パパイラスの舟:海外ミステリー随想』早川書房、1975年、1300
小鷹信光、木村二郎『ニューヨーク徹底ガイド』三修社、コロンブックス、197612月、950
◎小鷹信光『ハードボイルド以前:アメリカが愛したヒーローたち 18401920』草思社、19807月、1600 (税込)→〔改訂・改題〕『アメリカン・ヒーロー伝説』筑摩書房、ちくま文庫、20002月、720
小鷹信光『マイ・ミステリー:新西洋推理小説事情』読売新聞社、19829月、1800 (税込)
        *付:資料 コンチネンタル・オプ物語全作品リスト、小鷹信光著訳書リスト
小鷹信光『ハードボイルド・アメリカ』河出書房新社、19836月、1800 (税込)
        *ハードボイルド年表 (19201947) : p227260
小鷹信光『英語おもしろゼミナール:学校で教えない』立風書房、マンボウブックス、19835月、680 (税込)
小鷹信光『小鷹信光・ミステリー読本』講談社、19853月、1800
◎●小鷹信光『翻訳という仕事:プロの語る体験的職業案内』プレジデント社、19854月、1200 (税込)→〔改訂〕◎●『翻訳という仕事』ジャパンタイムズ、199112月、1500 (税込)→筑摩書房、ちくま文庫、20018月、740
◎小鷹信光『アメリカ語を愛した男たち』研究社出版、19858月、1800 (税込)→筑摩書房、ちくま文庫、19992月、700
◎小鷹信光『ハードボイルドの雑学』グラフ社、グラフ社雑学シリーズ、19865月、980 (税込)
◎小鷹信光編『ブラック・マスクの世界 別巻』国書刊行会、19875月、3800 (税込)
*対談:ハードボイルドを語る各務三郎・小鷹信光
小鷹信光『サム・スペードに乾杯』東京書籍、19885月、1300 (税込)
小鷹信光『ペイパーバックの本棚から』早川書房、19893月、1800 (税込)
小鷹信光『気分はいつもシングル:雨が降ろうが、風が吹こうが』二見書房、19949月、1600
◎小鷹信光『私のハードボイルド:固茹で玉子の戦後史』早川書房、200611月、2800
        *著作目録 *日本推理作家協会賞受賞
小鷹信光『私のアメリカン・グラフィティ』ランダムハウス講談社、200810月、1400
◎小鷹信光編著『<新パパイラスの舟>21の短篇』論創社、200810月、3200
◎小鷹信光『私のペイパーバック:ポケットの中の25セントの宇宙』早川書房、20093月、3200
小鷹信光『アメリカ・ハードボイルド紀行:マイ・ロスト・ハイウェイ』研究社、201112月、2600
【本書】●小鷹信光、逢坂剛『ハードボイルド徹底考証読本』七つ森書館、201395日、2300円+税
 

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『誤植読本』◆校正について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
高橋輝次編著『誤植読本 増補版筑摩書房、ちくま文庫2013610日、880円+税 [注△文×索×]
 
本書の元版は、東京書籍より200071700円)に刊行された。増補版には6編が追加されている。なお、本書のジャケットカバー裏には「計42名」とあるが、実際には収録著者数53名が正しい。
 
本書は、「誤植」をテーマとしたエッセーのアンソロジーである。あくまでも実用・実践の本ではない。
執筆者は文学関係者が大半で、プロの校正者がほとんどいない。西島九州男氏(岩波書店社外校正→中央公論社校閲部長)と相澤正氏(戦前の中央公論社校閲部長)くらいで、あとは何年間か校正をやったことがあるという程度の経験者が若干であるにすぎない。どちらかというと著者側に偏る。ついでに言えば、プロの編集者もいない。申し訳程度の編集経験者がやはり若干。
 
文学関係者中心であるため、当然、研究書の事例もごくわずかであるし、実用書などは全く登場もしない。本来、文学など出版物のごく一部にすぎないのだが、どうも文学者という連中は世の中の出版物が全て文学であるかのような錯覚をしがちだ。
雑誌についても、同人誌(またも文学!)はあっても、市販の雑誌の校正は皆無。週刊誌の校正など、きっと面白い「誤植」経験があるはずだが。かつての《SPA!》(扶桑社)の事例とかは、そろそろ公開されてもいいのではないか。それで完売したのだし。
これらは、文学関係者以外は「誤植」などを書くような場もないし、書いても誰も読まないだけ、ということなのかもしれないが。
 
収録作品については、巻末に「本書のもととなったテキスト一覧」はあるものの、初出年が不明。いつごろの記述かによって、印刷方式や入稿方法が年代により異なること(金属活字による活版印刷;当然手書きの原稿で入稿→写植によるオフセット印刷→電算写植→デジタルデータ入稿;電算写植時代の後半から→DTP)を編者は全く理解していないと考えざるを得ない。
色校については、唯一林哲夫氏がp.170でわずかに触れるのみ。もっぱら文字校についての話であって、金属活字による活版印刷時代の古い話がほとんどである。
 
校正者による用語統一に対しては、執筆者の皆さん異口同音に批判している。どうやら自分たちの書き方がてんでばらばらなのは、実は大変意味のある書き方をしているせいだということらしい。
批判者の筆頭は山田宗睦氏(「校正のレファレンス」『職業としての編集者』pp.103-110より)。<きょう日の「校正者」は、根本的にまちがっている。…言葉・文章というのは生きものである。…その言葉を、きょう日の「校正者」は、「統一」しようと志す。天下一統ならぬ用語一統である。…なにがなんでも「一統」しようというのは生きた言語への介入である。だれにもそんな権限はない。…こうなってきた理由は、さしずめ二つあると思う。一つは校正者のかなしい自己主張であり、もう一つは社会の管理化の進行である。…校正という仕事がしん気くさいことは、一度ですぐわかる。…そういうとき、漢字と仮名がチャンポンにつかわれていると、心理的にこれにとびつくことになる。そのときの校正者はすでに無機質の機械人間になっており、それを生身の人間としてのやりきれなさが増幅して、偏執狂のように「用語一統」にのりだす。そしてさながら国語審議委員のような気持ちになるのである――ということは国語審議委員なんてスリップ・ダウンした「校正者」ぐらいのしろものだ、ということである。かなしい自己主張といった所以である。>(pp.81-4)よほど恨みがあるのか、「校正者」に対する呪詛に満ち満ちている文章ではある。この怨嗟の言葉を裏読みすれば、こう考えられよう。山田氏の文章が不備だらけで、仕方なく「校正者」が「用語統一」でもしてあげなければ、恥ずかしくて世の中に出版できないのにすぎなかった、と。第一、山田氏の文章中に「国語審議委員」と2度出てくるが、これは「国語審議会委員」と「会」を入れるべきだろう(安田敏朗氏の『国語審議会』でも随所に「国語審議会委員」とあるが、「国語審議委員」はない)。
 
この校正者による統一問題については、さらに何人かが不満を漏らしている。
澁澤龍彦氏(「校正について」『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』より)
<近ごろの校正者の通弊として、私がもっとも困ったものだと思うのは、やたらに字句の統一ということを気にする点である。…その場合に応じて、両方を使い分けても一向に差支えないのである。>(p.71
紀田順一郎氏(「行間を縫う話」『読書人の周辺』より)
<編集者は意外にバリバリ直す。また、そうでなければ勤まらない。それはいいのだが著者の苦心を知らずして、機械的に用字の不統一を問題にしてくる例があり、これが最も困る。>(p.268
 
これらの意見に対して、日頃、用字用語の不統一極まりない原稿に悩まされている校正者ならびに編集者からの意見があってしかるべきではないか。
ついでに記しておくと、本書の巻末にある「執筆者紹介」の大学名の記載方法には、何か「著者の苦心」でもあるのだろうか。「日本大藝術学部卒」があるかと思うと「日本大学中退」があり、「京都大文学部卒」がある一方で「京大文学部哲学科卒」「京大英文科卒」があったり、「大阪府女専卒」「高坂高女卒」に対して「お茶の水女子大学哲学科卒」があるという具合。山田氏に言わせると「生きた言語」なので、「大」や「大学」はその時々の生き方によってさまざまなのであろうか。山田氏が在職していたという「東大出版会」(p.305)ぐらい正しく「東京大学出版会」と書けなかったのか、などというのは論外か。
 
一方、本書には、<不慮の事故によって説得力が生まれた好例>(解説p.297;堀江敏幸「誤って植えられた種」)と言うべき、誤植によってよりよい言葉になった事例がいくつか示されている。
例えば、坪内稔典氏の「粟か栗か」(産経新聞朝刊2012119日)。
<寺田寅彦に次の句がある。
栗一粒秋三界を蔵しけり>(p.145
実は元は「粟」だったが、いつの間にか「栗」で出版されるようになった。
<私見では栗でよい。…小さい物の代表みたいな粟粒にこの世の全てがあるというのは、理屈が通り過ぎて平凡だ。それに対して、栗の句とすると、理屈よりも栗の存在感そのものを生き生きと表現している。/粟から栗への変化、それを読者による推敲、あるいは添削と考えたい。>(p.146
他にも、大岡信、長田弘の各氏が、「誤植」転じて新たな詩を見いだすきっかけとなったことを報じている。
さらに、林哲夫氏(「錯覚イケナイ、ヨク見ルヨロシ」書下ろし)は、つげ義春氏の漫画『ねじ式』の冒頭の独白「まさか/こんな所に/メメクラゲが/いるとは/思わなかった」が、<この「メメクラゲ」がじつは「××クラゲ」の誤植だった>(p.167)と伝える。<「メメ」という奇妙な発音にいかにもシュールな効用があったように思える。>(p.168
 
林氏も引いているが、森銑三氏(「誤植」『書物』より)の言葉を引用したい。
<支那の何という人だったか、書物の誤を考えながら読むのも、また読書の一適だといっている。>(p.151
 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
山田宗睦『職業としての編集者:知的生産としての編集』三一書房、三一新書、19791215日、550
安田敏朗『国語審議会:迷走の60年』講談社現代新書、20071120日、760円+税
 
 
◆[校正]関連ブックリスト
 
◆校正について
◎●長谷川鑛平『本と校正』中央公論社、中公新書、19651025日、250円(ただし所蔵している7刷による)
長谷川鑛平『校正の美学』法政大学出版局、1969年、890
◎古沢典子『校正の散歩道』日本エディタースクール出版部、エディター叢書、1979年、1500
西島九州男『校正夜話』日本エディタースクール出版部、エディター叢書、198211月、1600
◎●倉阪鬼一郎『活字狂想曲:怪奇作家の長すぎた会社の日々』時事通信社、19993月、1600円→『活字狂想曲』幻冬舎文庫、20028月、533
●大西寿男『校正のこころ:積極的受け身のすすめ』創元社、200912月、2000
◎●高橋輝次編著『誤植読本』東京書籍、20007月、1700円→【本書】●〔増補〕『誤植読本 増補版』筑摩書房、ちくま文庫、2013610日、880円+税 [注△文×索×]
 
◆校正実務

西島九州男監修『校正技術』第1巻~第4巻・索引(校正概論・予備知識編、縦組校正編、用字用語編、横組校正編、総索引)、日本エディタースクール出版部、1972

西島九州男ほか編『校正技術 上 校正概論・予備知識・縦組校正・用字用語編』日本エディタースクール出版部、エディター講座、1972年、4120円→西島九州男監修『校正技術 上巻 校正概論・予備知識・縦組校正・用字用語編』日本エディタースクール出版部、エディター講座、1982年、4000円→〔改訂〕日本エディタースクール編『新編校正技術 上巻 〈校正概論・編集と製作の知識・縦組の校正〉編』日本エディタースクール出版部、19983月、5000

西島九州男ほか編『校正技術 下 横組校正・総索引編』日本エディタースクール出版部、エディター講座、1973年、4120円→西島九州男監修『校正技術 下巻 横組校正・総索引編』日本エディタースクール出版部、エディター講座、1982年、4000円→〔改訂〕日本エディタースクール編『新編校正技術 下巻 〈横組の校正・用字用語・校正資料〉編』日本エディタースクール出版部、19984月、3000

藤森善貢『出版編集技術 1 出版総論、編集・校正編』日本エディタースクール出版部、1968320日→〔第2版〕藤森善貢『出版編集技術 上巻 出版総論・編集・製作・校正・装幀編』日本エディタースクール出版部、エディター講座、1978930日、6000円→〔改訂〕藤森善貢原著、日本エディタースクール編『新編出版編集技術 上巻 〈本の知識・企画 編集・製作・校正〉編』日本エディタースクール出版部、1997425日、6000

島野一『校正実務ハンドブック:原稿整理から校正の実際まで』日本ジャーナリスト専門学院、ジャーナリスト双書、198011月、1500
野村保惠『校正ハンドブック』ダヴィッド社、1982〔改訂〕『校正ハンドブック 新版』ダヴィッド社、200210月、1600
●野村保惠『電算植字とのつきあい方:これからの編集者の常識』印刷学会出版部、198538日、1200円→〔改訂〕●『電算植字とのつきあい方:新しい文字組版』印刷学会出版部、1991725日、1600 (税込)
視覚デザイン研究所編『色校正とカラー分解:デザイナー・編集者のための』視覚デザイン研究所、デザインハンドブックシリーズ、19856月、3500
◎●『クリエイターのための印刷ガイドブック 1 基礎編:美しい印刷物を作るための入稿から校正まで』玄光社、コマーシャル・フォト・シリーズ、1988年、1900
朝日新聞大阪本社校閲部編『あなたも校正者』大阪書籍、198810月、1200
野村保惠『編集校正小辞典』ダヴィッド社、19931月、1553
野村保惠『<電算植字>本づくり入門』日本エディタースクール出版部、1995425日、2200円+税
日本エディタースクール編『標準校正必携』現代ジャーナリズム出版会、1966年、300円→日本エディタースクール編『標準校正必携(第2版)』日本エディタースクール出版部、1971年→日本エディタースクール編集『標準校正必携:電算植字対応版(第7版)』日本エディタースクール出版部、19956月、2400円→日本エディタースクール編『標準校正必携(第8版)』日本エディタースクール出版部、20115月、2400
美術出版社「クリエイターズ・バイブル」編集室『デザイン・編集・印刷のためのクリエイターズ・バイブル 4 クリエイティブ編:エディトリアルに見る指定と校正の検証』美術出版社、199510月、1942
日本エディタースクール編『校正記号の使い方:タテ組・ヨコ組・欧文組』日本エディタースクール出版部、19998月、500円+税→『校正記号の使い方2版:タテ組・ヨコ組・欧文組』日本エディタースクール出版部、200710月、500円+税
◎●野村保惠『本づくりの常識・非常識』印刷学会出版部、2000710日、2000円→●『本づくりの常識・非常識 (第2版)』印刷学会出版部、2007925日、2000
日本エディタースクール編集『実例校正教室』日本エディタースクール出版部、200012月、1400
◎●野村保惠『編集者の組版ルール基礎知識』日本エディタースクール出版部、200427日、1800円+税
◎●野村保惠『誤記ブリぞろぞろ:校正の常識・非常識』日本エディタースクール出版部、20059月、1400
野村保惠『新しい校正者の基礎知識編』日本エディタースクール出版部、200911月、2000
大西寿男『校正のレッスン:活字との対話のために』出版メディアパル、本の未来を考える=出版メディアパル2120117月、1200
日本エディタースクール編『新編校正技術講座テキスト版』全4冊、日本エディタースクール出版部、120126月、1500円+税;220127月、1100円+税;220128月、1300円+税;420129月、1600円+税
 

『ベルリン・オリンピック1936』◆ベルリン・オリンピックについて

某月某日、こんな本を読んだ。
 
デイヴィッド・クレイ・ラージ/高儀進訳『ベルリン・オリンピック1936:ナチの競技』白水社、2008810日、3500+税 [注○文(注に)索×]
David Clay Large, Nazi Games : The Olympics of 1936, 2007
 
本書は、1936年のベルリン・オリンピックの位置づけや評価が<きわめて混乱している>(p.23)ので、<新しい見方を提示するだけではなく、曖昧さを一掃する>(p.23)ことを目指した本である。書簡をはじめとした未刊行資料を発掘してエピソード豊かに史実を示し、近代オリンピックの欺瞞性を明らかにする。東京招致決定を愚かにも喜んでいる人々こそ、読むべき書である。そこにはナチ・オリンピックと似た構図が透けて見えるであろう。ベルリンに決まったとき招致をバルセロナと争ったのだが、今回の東京も同じスペインのマドリードと争って勝ち取ったのは奇妙な暗合なのかもしれない。
 
近代オリンピックの欺瞞性の一つが聖火リレーである。スタジアムにおける聖火自体は、アムステルダムやロサンゼルス大会などでも既に実施されていたが(p.87)、聖火リレーはベルリン大会が最初であった。
1936年のオリンピックの聖火リレーは、近代オリンピックのでっち上げられた伝統の中の「でっち上げられた伝統」だった。古代の競技には、そんな聖火リレーなどなかった。その点になれば、ベルリン・オリンピックに先立つ10回の公式夏季オリンピックのどれにもなかった。>(p.9
それではなぜナチ・ドイツは聖火リレーを「でっち上げ」たのか。<ドイツが始めた聖火リレーは、間もなく始まる競技に対する関心を高めるだけのものではなかった。それは、ある理念上の非常に重い荷を負っていた。/…聖火リレーは、南東および中部ヨーロッパに新生ドイツを宣伝するものに変わった。その地域は、ナチの生活圏(レーベンスラウム)を提唱する者が欲しがっていた地域だった――そして、やがてドイツの国内軍によって蹂躙された。オリンピアからベルリンに聖火を運ぶという一見無害な行事は、その後のあからさまな侵略を予示するものだったのである。>(p.9Lebensraum「生活圏」は「生存圏」と訳して欲しかったが)。一説には、聖火リレーはドイツがこれから侵略するためのルートを探るためだったともいう。
 
欺瞞性としては、政治との関係が挙げられる。IOCは常に政治とは無関係だと主張するが、オリンピックほど政治性の色濃いものはない。まさに1936年のベルリン・オリンピックこそ政治性の極致であり、その後のモスクワ・オリンピックに対するアメリカ等のボイコット(ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで)などで常に尾を引いている。また国旗掲揚=ナショナリズムの発揚は政治と密接な関係にあることは言うまでもない。
ナチ・ドイツはスポーツと政治は密接な関係を持つと考えていた。<何人かのナチのスポーツ関係の役員は、スポーツは政治と無関係であるべきだという考えに激しく反対した――その理念は、近代オリンピック運動が、必ずしも現実にではないにせよ原則としていたものだった。>(p.93
そもそもヒトラーは、1933年に首相になる直前でも、<オリンピックを、「フリーメーソンとユダヤ人の陰謀」と非難した>(p.76)のであり、<「ユダヤ主義に汚れた芝居など、国家社会主義の支配するドイツでは上演できないだろう」と非難していた>(ダフ・ハート・デイヴィス『ヒトラーへの聖火』p.14)のである。さらに<ナチは20年代の初め、祖国にヴェルサイユ条約という「軛」をかけた連合国の選手をドイツが競うのに反対した。また、「アーリア人」がスラブ人、黒人、ユダヤ人のような「人種的劣等民族」と競うのにも反対した。>(p.88
しかし、ヒトラーは、オリンピックが政治的に有用であることに気づいた。<オリンピックがナチにとって重要だったのは、オリンピックを主催して成功することによって、第三帝国は、国内では経済的に発展しつつあり、国外では尊敬の念を勝ち取りつつある平和国家という印象を与えることができるからだった。>(p.162)ひとたびオリンピックの有用性に目覚めると、たちまち国家を挙げて全力で推進し、英米で起こったボイコット運動に対しては、やむなく亡命したユダヤ人アスリートを呼び戻したり、ユダヤ人排斥の実態を覆い隠したりしてでも開催を維持したのであった。
<第三帝国における人種的不正を見て見ぬふりをしようと全力を尽くしていたIOC>(p.127)は、ボイコットなどあってはならなかった。アメリカでボイコット運動が盛んになった時、後年(1952年)IOC会長になるエイヴェリー・ブランデージは、<自分への反対を、オリンピック自体に対する攻撃、また、歪んだ性格の産物と解釈した。ヒトラーのもとのオリンピックに対する主たる反対がユダヤ人からのものであるという事実は、重要な意味を持つことになった。というのも、ブランデージはすぐさまそうした反対を、オリンピックという企て全体を覆そうとするユダヤ人の悪魔的な陰謀と思い始めたからである。>(p.108)ブランデージの強迫観念となっていたのは、<「オリンピックは続かねばならない」>(p.516)の一言だった。ブランデージは戦後になっても<人種的・政治的偏見>にとらわれており、<人間の理解を根本的に欠いていた>(デイヴィス同書p.250)と批判されている。
<ベルリン大会の訪問者の大多数が、訪独中にユダヤ人弾圧の証拠をほとんど目にしなかったという事実は、弾圧がなかったことを意味しない。…人種的偏見をおおやけの場で示すのを控えようとし、ユダヤ人を公然と襲わなかった。>(p.342)に過ぎず、治安維持と迫害は見えないところで強化されていたのだった。
 
欺瞞性としては、IOCは建前として個人間の競技であるとした。<オリンピックは厳密に個人間の競技であるという作り話にしがみついていたIOCは、国家別メダル獲得数を公式の表にしないように仕向けてきた>(p.446)のだが、しかしながら、国家単位での参加であり、結局は国家の威信発揚の舞台と化している。
<彼[クーベルタン]は、近代オリンピックは、個人の運動能力と、より強く、より速くなりたいという人間の意欲を競うものと主張したが、国の代表選手として参加するよう競技者に要請することによって、その原則を無効にした。その結果、オリンピックにおいてナショナリズムが強力な役割を演ずることとなった。次第にオリンピックは、一国の活力の標尺と見なされるようになったのである。>(p.27
 
欺瞞性としては、商業化、あるいはオリンピック開催による収益確保という問題がある。のちにIOCの委員となりベルリン大会のドイツ式委員会の会長となったテーオドール・レーヴァルトは、資金を出し渋るベルリン市当局者に対し、<大会がベルリンに大きな経済的利益をもたらすのは間違いないと反論し、1000万マルク儲かると推定した。>(p.77)ベルリンの前のロサンゼルス大会は、<利益を上げた(約15万ドル)唯一の最初のオリンピックとなった。>(p.85
また、<広告が許されたのは、オリンピック史上でそれが最初ではなかったが、ドイツはそれまでのどの国よりも遥かに多くの商業上の権利を売り、ドイツのオリンピックは五輪を商売にするうえで新たな基準を作った。>(p.176
そしてまた東京でも、根拠の曖昧な「経済的利益」なるもののアドバルーンに事欠かない。算出方法も曖昧だから、仮に結果として達しなくともいくらでも数字を入れ替えることは可能だ。第一、終わってしまえば誰も覚えてなどいない、と高を括っているのだから。
 
欺瞞性としては、招致活動自体の問題もある。前回、石原慎太郎が主導で招致活動を行い、巨額の使途不明金がでたものの、追及がうやむやに終わってしまったことは記憶に新しい。今回の招致活動の実態がどこまでクリアに明らかになるか不明だが、恐らく期待するだけ無駄なことだろう。
<もちろん今日では、オリンピック招致に関連してあらゆる不正が行われることに、われわれは慣れっこになっているが、オリンピックの草創期には、こうした類いの裏の駆け引きは稀だった。>(p.80
 
欺瞞性としては、プロの参加という問題がある。実際、ベルリン大会においていくつもの競技でアマチュアではないことを理由に優勝や出場資格がもめたりした。しかし、一方で、射撃競技や馬術はそもそも軍と不可分であり、クーベルタンが軍を引き入れるために第1回から射撃競技を導入したのだし、馬術に至ってはベルリン大会では全員軍人が参加していたほどだ(p.434)。軍人はプロそのものだ。
 
ベルリン・オリンピックにおいてユダヤ人弾圧を覆い隠した欺瞞性は非常に大きい問題であったのだが、ひるがえって日本の欺瞞性は何か。もちろん、放射能汚染水漏れが続いており、海洋汚染が止まらない事態になっているにもかかわらず、安倍とかいう首相はIOC総会で「コントロールされている」と虚偽の断定をしたことだ。東電ですら、コントロールできていないと認めざるを得ないほど深刻な状態であるにもかかわらず。
これからも2020年に向けて、さまざまな欺瞞の積み重ねが進行していくのだろう。能天気なマスコミに踊らされて、国民はほとんどだれも気がつかないだろう。恐らくは、「ナチスからあの手口学んだらどうかね」と言った麻生なる副首相のもと、当然ベルリン・オリンピックの手口も学んでいくことは間違いない。
新たな欺瞞を照射する鏡として、隠れナチスの手口を知るために、本書を読むことをお勧めしたい。
 
本書は、ベルリン・オリンピックにまつわるトリヴィアなエピソードには事欠かない。
例えば、オリンピック村の近くには湖や池が点在していたが、<大会が始まる1年前、軍の化学者はすべての湖と池にスプレーで殺虫剤を撒き、その一帯の蚊を全滅させた。>(p.244
あるいは、<ヒトラーは、…規則正しく散歩することと、右腕を長時間挙げること――その技で自分は金メダルをもらう資格があると、のちに彼は冗談を言った――以外、あらゆる本格的な運動は避け>(p.91)ていた。
 
残念ながら出典を示す注記には、邦訳書が既にあっても示されていない。例えばリーフェンシュタールの『回想』や、ダフ・ハート・デイヴィスの『ヒトラーへの聖火』(p.2523で邦訳書の存在自体は追記されている)など随所に出てくるが、参照しなかったものとみられる。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
ダフ・ハート・デイヴィス/岸本完司訳『ヒトラーへの聖火:ベルリン・オリンピック』東京書籍、シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション21988517日、1600
レニ・リーフェンシュタール/椛島則子訳『回想:20世紀最大のメモワール』上下、文藝春秋、199112月、各2300 (税込)→文春文庫、19957月、750 (税込)880 (税込)
 
 
 
◆[ベルリン・オリンピック]関連ブックリスト
 
◆ナチスのオリンピック
リチャード・マンデル/田島直人訳『ナチ・オリンピック』ベースボール・マガジン社、1976年、1800
Richard D. Mandell, The Nazi Olympics, 1971
●ダフ・ハート・デイヴィス/岸本完司訳『ヒトラーへの聖火:ベルリン・オリンピック』東京書籍、シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション21988517日、1600 [注×文×索×]
Duff Hart-Davis, Hitler's Games: The 1936 Olympics, 1986
                   *残念ながら訳書では出典が一切明記されていないが、幅広い資料を用いたように思える。
沢木耕太郎『オリンピア:ナチスの森で』集英社、19985月、1600集英社文庫、20077月、648
【本書】★●デイヴィッド・クレイ・ラージ/高儀進訳『ベルリン・オリンピック1936:ナチの競技』白水社、2008810日、3500円+税 [注○文(注に)索×]
David Clay Large, Nazi Games : The Olympics of 1936, 2007
 
◆レニ・リーフェンシュタール
グレン・B.インフィールド/喜多迅鷹・喜多元子訳『レニ・リーフェンシュタール:芸術と政治のはざまに』リブロポート、19816月、2400
Glenn B. Infield, Leni Riefenstahl : The Fallen Film Goddess
レニ・リーフェンシュタール/椛島則子訳『回想:20世紀最大のメモワール』上下、文藝春秋、199112月、各2300 (税込)→文春文庫、19957月、750 (税込)880 (税込)
Leni Riefenstahl, Memoiren
●平井正『レニ・リーフェンシュタール:20世紀映像論のために』晶文社、19999月、2300
●瀬川裕司『美の魔力:レーニ・リーフェンシュタールの真実』パンドラ(発売:現代書館)、20018月、3500
●ライナー・ローター/瀬川裕司訳『レーニ・リーフェンシュタール美の誘惑者』青土社、200210月、2800
Rainer Rother, Leni Riefenstahl : Die Verfuhrung des Talents
スティーヴン・バック/野中邦子訳『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』清流出版、20097月、2600
Steven Bach, Leni
 

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『嘘を見破る質問力』◆嘘について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
荘司雅彦『嘘を見破る質問力:反対尋問の手法に学ぶ』日本実業出版社、2008620日、1500円+税 [注×文×索×]
 
先に検事の立場から、被疑者や関係者の供述の「嘘」をどのように見抜くかという本(若狭勝『嘘の見抜き方』)を読んだが、本書は、弁護士の立場から嘘を見破る手法を書いたものである。つい最近文庫化されたが改訂されているかどうかは未確認(ちくま文庫、20139月、740円+税)。若狭氏の本には各章末尾に箇条書きのまとめがあったが、本書にもあるので、刊行年から見て本書の真似かもしれない。なお、『嘘を見破る質問力』というタイトルのDVDも出ているらしい。
 
本書冒頭で、<私は「日本弁護士白書」に公表されている平均的弁護士の約10倍という膨大な弁護士経験を積んできた。>(p.1)と宣言する。
 
残念ながら、明らかな1か所の誤りと、もう1か所の怪しいところがある。別に質問力などなくとも、「嘘」が自ら明らかになることもあるのだ。
1か所の誤りとは、『日本弁護士白書』という本は存在しない。あるのは日本弁護士連合会が2002年版から発行している『弁護士白書』だ。タイトルの違いは些末なことではない。
 
もう1か所の怪しいところとは何か。「平均的弁護士の約10倍という膨大な弁護士経験」は本当だろうか。
本書の刊行時の直近に出された『弁護士白書2007年版』を見てみよう。弁護士経験の平均値といったものは掲載されていないが、「弁護士会別弁護士1人に対応する民事・家事事件数」(p.85)では、弁護士1人に対応する各地方裁判所の民事事件数および家庭裁判所別の家事事件の新受件数の表が掲載されている。この表によれば、弁護士1人に対応する民事事件数全国平均は39件、同じく家事事件数全国平均は32件である。もし仮に「平均的弁護士の約10倍という膨大な弁護士経験」なるものが民事・家事事件数であるとするなら、民事事件を390件、家事事件を320件引き受けている計算になろうか。一見多そうだが、弁護士1人に対応する民事事件数が1位の青森県弁護士会では209件であり、同じく家事事件でも青森県弁護士会が1位で188件なのであるから、単純合計では397件にもなる。

 「荘司雅彦オフィシャルWebサイト」における著者のプロフィールによれば、「1991 弁護士登録 現在東京弁護士会所属 勤務弁護士をすることなく、地元三重県伊勢市で法律事務所を開業。」という。そこでも「一般民事、刑事、家事、倒産等の事件を約200件(平均的弁護士の約10倍)常時処理しながら、地方労働委員会公益委員をはじめ、多数の行政委員を歴任した。」と記している。仮に東京弁護士会所属なら、平均では民事事件13件、家事事件7件でしかないので、単純合計で20件(刑事事件の件数はデータが掲載されていない)。荘司氏のサイトにある「約200件」が「約10倍」の件数に相当しようか。しかし、全国平均の両事件合計は71件なので、単に平均的弁護士の約3倍でしかない。繰り返すが、これには刑事事件の件数は含まれていないのだ。
だが、1991年の弁護士登録が最初から東京弁護士会かどうか不明だが、当初三重県に法律事務所を開業したということなら、「法律事務所を設置しようとする地域の弁護士会を通して、日弁連が備える弁護士名簿に登録」(日本弁護士会連合会Webサイト)することになるので、当然三重弁護士会に入会していたはずだ(なぜかプロフィールには「現在東京弁護士会所属」と、三重県で活動していたときの所属弁護士会名が意図的に伏せられている)。そこで三重弁護士会の所属弁護士の平均件数を見ると、民事事件123件、家事事件125件である。単純合計すれば248件。「約200件」は三重県弁護士会の平均的弁護士以下ということになる。つまり証拠(出典)を誤記し、あまつさえ基準点となる数値を曖昧にした、数字のトリックに過ぎなかったわけだ。もしかしたら著者が好きな「ハッタリ」p.103だったのだろうか。
 
本書では、ウェルマンの『反対尋問の技術』から4か所も引用している(同書以外の文献はなぜか明記せず)。
同書の原題をThe Art of Cross-Examination という。本書によれば邦題で<「技術」という用語を用いているにもかかわらず、著者のウェルマンは原題で「Art」という言葉を用いている点です。Techniqueではなく。/これは、とりもなおさずウェルマンをはじめとするアメリカの法廷弁護士が、反対尋問を一種の「芸術」だと考えていたことを示しています。…反対尋問は、もはや「技術」の域を超越して「芸術」の域まで達しているといっても過言ではありません。>(pp.18-9
Art」だから機械的に「芸術」とみなす必要はない。普通の英和辞典でも「Art」の訳として「技術」とか「技法」「こつ」などと出ているのだから(注1
 
元検事・若狭勝氏の嘘の見抜き方と、本書の弁護士のやり方とは、かなり似通ったところがある。
そのなかで、少しユニークなやり方としては、例えば<「外堀を埋めて退路を断つ」ための質問>p.23の方法として、<証人の立場になってみて、どのように逃げるかを想定し、想定できるあらゆる逃げ道を事前に塞いでおいてから、決定的な証拠を突きつけるのが、真実を語らしめる有効な方法です。>p.23と説明する。
また、<「望んでいない答えを引き出すフリをする」質問をすることによって、質問者が本当に望んでいる答えを引き出すこともできる。>p.29
 
一方で、<人間というものは、一度証言した事柄と矛盾した行動をとることを嫌い、できれば「一貫性」を保ちたいと考える傾向が強い。>p.30さらに、仮に嘘をついている場合も、<意識的もしくは無意識的に「つくられた記憶」に基づいて、「主観的」には真実を述べている>p.56とする。弁護士は刑事事件ばかりでなく、民事もやっているせいだろうか。
<あなたが思っている以上に人間というものは嘘をつくことが苦手だ。>(p.76<「思い込みの記憶違い」と「悪意の嘘つき」を見分けることは、実は大変至難の業なのです。>(p.86)このあたり検事の見方と違うのかもしれない。
 
<特徴的な嘘つきの身体動作>(p.92をいくつか列挙している。このあたりは若狭勝氏の言う「態度の嘘反応」とよく似ている。ただし、より女性と男性の違いを明確にしているあたりが違いか。例えば<証人が男性の場合、嘘を言うとき、つい目をそらせてしまいます。/逆に、女性の場合は、嘘を言っているとき、私に目を合わせてきます。>(p.95)<女性は、男性よりもはるかに嘘が上手です。>(p.128
 
真実を語らせるには証言の矛盾を考えるのだそうである。
<①まず、相手の言い分と「客観的事実」の矛盾が最優先/②相手の言い分の中での矛盾が二次的>(p.177
とくに②を先に指摘すると、言い間違いに過ぎないと逃げられてしまうという。
 
最後のあたりで、「法律家の論理学」なるものを述べている。
<①「結論」が先にあり /②「理由」は、結論をもっともらしく見せるための理屈(論理)としてのみ意味がある>(p.163
裁判官の判決も「結論」ありき、だと。だから判決文の主文はともかく、「結論をもっともらしく見せるための理屈(論理)」だから、あとは日本語にもならない意味不明の文章の堆積にすぎないわけだ。このことを読んだだけでも本書を読んだ意味はあった。
 
ちなみに、Wikipedia「判決」の項にある日本の判決書の特徴を一部掲げておこう2013/09/23確認)
· 一つの文が極めて長大であり、いかに読解力に優れる者でも読み返さなければ論旨が理解できない。また、不必要な美辞麗句が過剰に並べ立てられている。
· 日本語の誤用が顕著である。特に、「けだし」の意味を「なぜなら」と取り違える用法が知られ、これは既に法律家の世界での業界用語として定着している。>

 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
日本弁護士連合会編著『弁護士白書2007年版』日本弁護士連合会、2007111日、2381円+税
フランシス・L・ウェルマン/林勝郎訳『反対尋問の技術 上 第1反対尋問の原理』青甲社、19732
フランシス・L・ウェルマン/林勝郎訳『反対尋問の技術 下 第2著名反対尋問の実例』青甲社、1975
Francis Lewis Wellman, The Art of Cross-Examination, 1903
若狭勝『嘘の見抜き方』新潮新書2013530日、680円+税
 
(注1手近にある英和辞典で示す。
『小学館ランダムハウス英和辞典(パーソナル版)上』(小学館、1975121日、上下9800円)では、「7 (技術・学問の分野などの)技法、術、要領」「9 (一般的に人間の)特殊技術、技能」「13 こうかつ、ずるさ、手管、策略」
『ジーニアス英和大辞典』(大修館書店、2001425日、16500円+税)では、「3 技術、こつ、要領;(芸術的)手腕、わざ、技巧」
 
 
◆[嘘]関連ブックリスト
嘘をテーマにした文献についてはこちらを参照。

 

『出逢った日本語・50万語』◆辞書編纂について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
松井栄一『出逢った日本語・50万語:辞書作り三代の軌跡』筑摩書房、ちくま文庫、2013810日、860円+税 [注×文×索○]
 
本書は、小学館から発行された『日本国語大辞典』の編者が、三代にわたって辞書編纂にあたってきたことを記す。元本は、小学館から200212月(1800円+税)に刊行されている。ちなみに著者の名前「栄一」はなんと「しげかず」と読む。今野真二の『漢字からみた日本語の歴史』をとりあげた際、名前の付け方に<漢字の読みは一切制限がない>(同書pp.175-6)ばかりでなく、極論を言えば<「かをる」と書いて、「リリカ」と発音してもよいはず>(同書p.175)となってきているという指摘を紹介したが、その類いと言うべきか。
巷では一時三浦しをんの『舟を編む』が、出版業界こぞっての持ち上げ方の様子で、国語辞典の編纂という地味な仕事にも脚光が当てられたかのような状況だった。同書はどうしようもないお粗末な内容だったので、そろそろ消えてしまったかもしれないが。
 
ともあれ、本書の目次を掲げておこう。
松井簡治と『大日本国語辞典』
松井簡治の日常こぼれ話
『日本国語大辞典』(初版)の内側
『日本国語大辞典』(第二版)をめぐって
国語辞典の用例について
用例資料にまつわる話
松井驥の歩んだ道をたどる
ピンチヒッター人生
付録『近代国語辞書の歩み――余説第二章』について
章番号はないが、辞書編纂に関しては13456と付録が主たる章となる。
 
とりわけ『日本国語大辞典』の初版編纂時、および第二版の編纂時の苦心談は読ませる。なかでも第二版における見出しの配列の見直しの試行錯誤(pp.117-126)や用例の追加・年代表示や底本の変更(pp.129-164)は、<底本を変えて手直しをした項目は他にもある。こういうあまり目立たない改訂の積み重ねが辞書を育ててゆくのには重要だと考えている。>(p.157)まさに細部こそが肝腎なのだ。
 
しかし、本書では電子辞書志向の強まりについて何も触れてはいないが、各社とも電子辞書メーカーに安く提供してしまっているがゆえに、こうした細部などどうでもよい、という傾向がありはしないか。多少電子辞書に触れると、そんな危惧を覚える。
 
もう一つ本書で読ませるのは付録だ。山田忠雄述『近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と』における『日本国語大辞典』への手厳しい批判への反論である。
まず<述者[山田忠雄]の誤った思い込み…をもとにした記述が多い>(p.233)ことを具体的に指摘。さらに個別の批判にも事実誤認が多いと、一つ一つ反証を掲出していく。
<悲しいと強く感じたことである。それは自分の至らなさについてでもあるが、それだけではなく、本格的な辞書批判と言われているこの本が、こきおろしやののしりの言葉に満ちているということについてである。>(p.234
老生も反省すべきかもしれないが(『舟を編む』の具体的な批判はそのうち)。
 
巻末の索引は「ことば索引」「書名等索引」「人名索引」と、一見充実しているように見えるが、なぜか付録(pp.226-263)については一切無視しているらしく、『近代国語辞書の歩み』の項にも「山田忠雄」の項にも「226」はない。索引全体におざなりな編集が感じられる。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
日本大辞典刊行会編集『日本国語大辞典』全20巻、小学館、197212月~19762月、各5800
日本国語大辞典第二版編集委員会、小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第2版』全13巻+別巻、小学館、200012月~200212月、各15000
今野真二『漢字からみた日本語の歴史』筑摩書房、ちくまプリマー新書、2013710日、780
三浦しをん『舟を編む』光文社、20119月、1500円+税
山田忠雄述『近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と』全2冊、三省堂、19817月、全39000 (税込)
 
 
◆[辞書編纂]関連ブックリスト
*調査が不十分なので、後日改めて掲載することもあろう。
 
◆日本の辞書
〔訂正版〕上田万年『国語のため』富山房、1897年(2版)
*附:日本大辞書編纂に就きて
大村喜吉『斎藤秀三郎伝:その生涯と業績』吾妻書房、1960
山田忠雄『三代の辞書:国語辞書百年小史』三省堂、1967年→〔改訂版〕《三省堂ぶっくれっと》特別記念号、19813月、非売品
*三省堂の『新明解国語辞典』の編集主幹を務めた。
◎新村猛『「広辞苑」物語』芸術生活社、芸生新書、1970年、380
◎特集「辞典の歴史と思想:作る人と引く人の対話」《思想の科学》63号、19766月臨時増刊、思想の科学社、600円 
*巻末に、勝又美佐子「辞典・事典に関する参考文献」pp.201-7。ただし辞書編纂に関する文献はわずか。
山田忠雄述『近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と』全2冊、三省堂、19817月、全39000 (税込)
原田種成『漢文のすゝめ:諸橋『大漢和』編纂秘話』新潮社、新潮選書、19929月、1050 (税込)
*諸橋轍次は『大漢和辞典』の編集方針だけ決めるとあとは1行たりとも書かずにプロモーターに徹して編纂に全く関与しなかったことを、編纂実務担当者が明らかにする。諸橋『大漢和』と俗称されるが、その冠は取り除くべき。
倉島節尚『辞書は生きている:国語辞典の最前線』ほるぷ出版、ほるぷ150ブックス、19951月、1500 (税込)
*三省堂の『大辞林』(初版)刊行時の編集長。
紀田順一郎『図鑑日本語の近代史:言語文化の光と影』ジャストシステム、19977月、4600
犬飼守薫『近代国語辞書編纂史の基礎的研究:『大言海』への道』風間書房、19993月、21500
倉島節尚『辞書と日本語:国語辞典を解剖する』光文社新書、200212月、700
松井栄一『出逢った日本語・50万語:辞書作り三代の軌跡』小学館、200212月、1800【本書】●ちくま文庫、2013810日、860円+税 [注×文×索○]
松井栄一『国語辞典はこうして作る:理想の辞書をめざして』港の人、200512月、2200
安田敏朗『辞書の政治学:ことばの規範とはなにか』平凡社、20062月、2800円+税
早川勇『日本の英語辞書と編纂者』春風社、愛知大学文學會叢書1120063月、6600
倉島節尚編『日本語辞書学の構築』おうふう、20065月、15000
堀江剛史『大武和三郎:辞書編纂と数奇な生涯:日伯友好の礎(ブラジル日本移民100周年記念)』サンパウロ人文科学研究所、ブラジル日本移民史料館、20085
倉島節尚『日本語辞書学への序章』大正大学出版会、200810月、4700
倉島長正『国語辞書一〇〇年:日本語をつかまえようと苦闘した人々の物語』おうふう、20105月、2500
竹下和男『英語天才斎藤秀三郎:英語教育再生のために、今あらためて業績を辿る』日外アソシエーツ、20113月、4760
米山優子『ヨーロッパの地域言語〈スコッツ語〉の辞書編纂:『古スコッツ語辞典』の歴史と思想』ひつじ書房、20132月、8800円+税
http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-634-1.htm
飯間浩明『辞書を編む』光文社新書、20134月、800円+税
*『三省堂国語辞典』の編纂担当者による。
今野真二『『言海』と明治の日本語』港の人、20139月、2800円+税
◆海外の辞書
ジェイムズ・ボズウェル/中野好之訳『サミュエル・ジョンソン伝』全3巻、みすず書房、1巻:19815月、第2巻:19825月、第3巻:198312月、各8000 (税込)
James Boswell, Boswell's Life of Johnson
パット・ロジャーズ/永嶋大典監訳、日本ジョンソン・クラブ共訳『サミュエル・ジョンソン百科事典』ゆまに書房、19992月、15000
Pat Rogers, The Samuel Johnson Encyclopedia
●サイモン・ウィンチェスター/鈴木主税訳『博士と狂人:世界最高の辞書OEDの誕生秘話』早川書房、19994月、1800円→早川書房、ハヤカワ文庫NF20063月、740
Simon Winchester, The Professor and the Madman
◎ハーバート・C・モートン/土肥一夫・中本恭平・東海林宏司訳『ウエブスター大辞典物語』大修館書店、199912月、3800
Herbert Charles Morton, The Story of Webster's third
http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/20887
早川勇『辞書編纂のダイナミズム:ジョンソン、ウェブスターと日本』辞游社、20013月、6800
早川勇『ウェブスター辞書と明治の知識人』春風社、200711月、3800
ヘンリー・ヒッチングズ/田中京子訳『ジョンソン博士の『英語辞典』:世界を定義した本の誕生』みすず書房、200712月、5800
Henry Hitchings, Dr Johnson's Dictionary
◆辞書批判
杉本つとむ監修『国語辞書を批判する』桜楓社、19797月、800
金武伸弥『『広辞苑』は信頼できるか:国語辞典100項目チェックランキング』講談社、20007月、1500
石山茂利夫『裏読み深読み国語辞書』草思社、20012月、1600円→草思社文庫、20128月、680
谷沢永一・渡部昇一『広辞苑の嘘』光文社、200110月、1200
高島俊男『広辞苑の神話:お言葉ですが…4』文藝春秋、文春文庫、20035月、619
●西山里見『講談社『類語大辞典』の研究:辞書がこんなに杜撰でいいかしら』洋泉社、20043
石山茂利夫『国語辞書事件簿』草思社、200411
川本信幹『日本語通の日本語知らず:広辞苑よ、おまえもか』主婦の友インフォス情報社、20064月、1600
石山茂利夫『国語辞書:誰も知らない出生の秘密』草思社、20076
小説
三浦しをん『舟を編む』光文社、20119月、1500円+税
◆参考
◎熊田淳美『三大編纂物群書類従・古事類苑・国書総目録の出版文化史』勉誠出版、20093月、3200
佐滝剛弘『国史大辞典を予約した人々:百年の星霜を経た本をめぐる物語』勁草書房、20136月、2400
 

『科学とオカルト』◆オカルトについて

某月某日、こんな本を読んだ。
 
池田清彦『科学とオカルト:際限なき「コントロール願望」のゆくえ』PHP研究所、PHP新書、199916日、657円+税  [注×文×索×]
 
本書は、現代科学とオカルトとの違いと類縁関係を論じた書である。サブタイトルがなくなった『科学とオカルト』として、講談社学術文庫(20071月、760)で再刊されている(既に品切れ状態)。
目次は次のようになっている。
1章 科学の起源とオカルト
2章 オカルトから科学へ
3章 科学の高度化とタコツボ化
4章 科学が説明できることと説明できないこと
5章 心の科学とオカルト
6章 現代社会とオカルト
7章 カルトとオカルト
8章 科学とオカルトのゆくえ
 
錬金術と現代科学との違いは何かと問う。<それは理論のあり方が違うのである。…錬金術の理論には公共性が欠けているのが一番大きな違いであろう。別の言い方をすれば、どのようなやり方をすればある特定の理論に基づく結果が再現できるかについて、錬金術はきわめてあいまいなのである。>(pp.27-8)つまり再現可能性が担保されるかどうかが科学か否かということになる。
逆に言えば、<社会的に平準化されたオカルトは、公共性を獲得したのだから、もはやオカルトとはいえない。それでは何と呼ぶかというと、「科学」ということになったわけだ。実に科学とはオカルトの大衆化だったのである。>(p.50)すなわち、<再現可能性は、大衆化され公共性を獲得した技術やオカルトが科学になるための公準となった。>(p.50
<科学にとって、理論の公共性とは何か。それは理論から極力個人の特殊性を抜くということに尽きる。それは主観を重視するということだ。科学は客観というやり方で公共性を担保したのである。>(p.54)言いかえれば、<科学の理論はその中から「神」や「霊魂」や「主観」を抜いて公共性を確保した>(p.59)ということになる。
 
しかし、にもかかわらずだ。<オカルトから発した科学は、客観という公共性により、オカルトとははっきりと別のものになった。…しかし、非専門家の普通の人にとっては、科学の理論は、わけがわからないままにただ信じるべき有難い御託宣か、さもなくば社会に害毒をもたらすあやしげなオカルトになったのである。>(p.85
科学者にとっても、自分の専門外については、「非専門家の普通の人」と同じレベルであり、残念ながら「公共性」を維持できているわけでもない。一見科学者らしい格好をしているがゆえに、騙されやすい。例えば、前に記した丁宗鐵氏は日本薬科大学学長を務めるくらいだから、おそらく科学者なのだろう。しかるに氏の著書『名医が伝える漢方の知恵』では、怪しげな二分法で単純に人を分類しようとしている。漢方だから「客観という公共性」などないというのだろうか。
 
ともあれ、<19世紀以後、オカルトの主要な活動舞台は、科学が未開拓の領域か、科学が原理的に扱えない領域になってくる。前者はもっぱら①心霊現象あるいはその周辺領域であり、後者は②個人的な神秘体験とか未来の現象の予知とか運勢占いとかが代表である。>(p.110)近代のオカルトが、単純にこの二つの領域に限定できるとも思えないが。
ちなみに、石川幹人の『超心理学:封印された超常現象の科学』では、①の領域において超常現象が「科学」となったと力説している。
 
<科学と現代オカルトに共通するものは何か。それは原理への欲望とコントロール願望である。>(p.141)と著者は断言する。<科学はなるべく少ない同一性(実体や法則)でなるべく多くの現象を説明しようとする欲望を持っている。しかし、この欲望には、再現可能性というタガがはまっている。>(p.141)ところが、一方で、<オカルトは、科学で説明できない現象を説明すると称して、いとも簡単にこの禁欲を破ってしまう。禁欲を破って、原理への欲望だけがあらわになれば、一つの原理ですべての現象を説明するという話になるのは見やすい道理である。>(p.142
とりわけ<くり返さなかったりたった一度しか起きないことに関しては科学は無力なのである。>(p.91)このことは、えてして忘れられがちだ。再現可能性がないことに対して科学が有効な答えを用意できないがゆえに、この点を突いてオカルト信奉者は科学を批判する。よってオカルトの理論は、検証不可能であるがゆえに、絶対となる。
だが一方で、絶えず発生する科学の論文捏造問題などは、ある意味で、「原理への欲望とコントロール願望」が嵩じた余り、タガを外してしまったのかもしれない。
 
現代のオカルトがなぜ求められているのか。実は、<オカルトは、「かけがえのない私」を実現する方法の一つなのである。>(p.148)そして、「かけがえのない私」という物語りを実現することとは、何らかの特別な人になることだ。その方法は<大きく分けて二つある。一つは普通の人は持っていない「超能力」を獲得して特別な人になること。もう一つは、普通の人にはできない特殊な経験をして特別な人になること。>(p.150)前者の典型は、オウム真理教の信者たちであるし、後者の事例としては、宇宙人に誘拐された経験を語る者がいる。
 
<国家のパターナリズムの下で自己実現できなくなっている人にとって、オカルトとカルトはともに甘い蜜である。>(p.170)パターナリズムとは、国家が国民の生活に介入・干渉し、自由や権利などを制限すること。<本当のことを言えば、「かけがえのない私」探しなんぞを手伝ってくれる他者はどこにもいないし、そんな制度も装置も宗教も、実はどこにもありはしない。>(p.171)だからこそ、本当には存在しないオカルトとカルトを<合体してしまえば、「かけがえのない私」探しの装置としては、より強力なものになるばかりだ。>(p.178
 
現代でも占いや新興宗教、さらには数多ある陰謀論などのオカルトが大いにはびこっている。著者の理論が正鵠を得ているかどうかは今後の検討を俟ちたいが、一つの有力な仮説としたい。
 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
丁宗鐵『名医が伝える漢方の知恵』集英社新書、2013722日、720円+税
石川幹人『超心理学:封印された超常現象の科学』紀伊國屋書店、2012919日、2800+税
 
 
◆[オカルト]関連ブックリスト
*オカルト信奉者の文献も批判者の文献も含む。
 
◎コリン・ウィルソン/中村保男訳『オカルト』上・下、新潮社、1973年、各1300→平河出版社、198512月、4500円→上・下、河出書房新社、河出文庫、19957月、各980 (税込)
Colin Wilson, The Occult
◎特集「オカルティズム」 《ユリイカ》 19747月臨時増刊
◎特集「秘教外伝」 《地球ロマン》復刊4号、19773
伊東高麗夫『病跡学とオカルト』勁草出版サービスセンター、198011月、2300
◎坂下昇『オカルト』講談社現代新書、198610月、480
★◎秋山さと子『ユングとオカルト』講談社現代新書、1987120日、480 [注×文×索×]
◎コリン・ウィルソン/高橋和久ほか訳『ミステリーズ:オカルト・超自然・PSIの探究』工作舎、198710月、5000
Colin Wilson, Mysteries : An Investigation into the Occult, the Paranormal and the Supernatural, 1979
◎特集「スーパー・ネイチャー;オカルトと抽象」 《美術手帖》198711
◎C.G.ユング/島津彬郎・松田誠思編訳『オカルトの心理学:生と死の謎』サイマル出版会、19896月、2100円 (税込)
◎コリン・ウィルソン、ダモン・ウィルソン/関口篤訳『世界不思議百科』青土社、19896月、1400円+税
Colin Wilson, Damon Wilson, The Encyclopaedia of Unsolved Mysteries, 1987
◎ラルフ・ノイズ編/中富信夫訳『ミステリー・サークルの真実:自然現象?それとも"宇宙人"のいたずら?』集英社、19919月、1500円 (税込)
Ralph Noyes, The Crop Circle Enigma
◎『オカルトごっこ』別冊宝島18119937
◎レイチェル・ストーム/高橋巌・小杉英了訳『ニューエイジの歴史と現在:地上の楽園を求めて』角川書店、角川選書、199311月、1800 (税込)
Rachel Storm, In Search of Heaven on Earth
◎呉智英監修『オカルト徹底批判』朝日新聞社出版局、朝日ワンテーママガジン、19945
◎特集「オカルトがなぜ悪い!」 《別冊歴史読本》19948
★◎フレッド・ゲティングズ/阿部秀典訳『オカルトの図像学』青土社、1994615日、4660円+税
Fred Gettings, Visions of the Occult : A Visual Panorama of the Worlds of Magic, Divinaton and the Occult, 1987
◎ひろたみを『ミステリー・ゾーンの20人』飛鳥新社、19962月、1600 (税込)
◎ジョン・マックニッシュ/田中嘉津夫訳『ミステリーサークル黙示録』かもがわ出版、講座・超常現象を科学する619972月、1400
John Macnish, Cropcircle Apocalypse
◎斎藤貴男『カルト資本主義:オカルトが支配する日本の企業社会』文藝春秋、19976月、1714→『カルト資本主義』文藝春秋、文春文庫、20006月、667
◎オーエン・S.ラクレフ/荒俣宏監修・解説、藤田美砂子訳『図説オカルト全書』原書房、199712月、3400
Owen S. Rachleff, The Occult in Art
●渡辺恒夫、中村雅彦『オカルト流行の深層社会心理:科学文明の中の生と死』ナカニシヤ出版、19984月、2200
【本書】★●池田清彦『科学とオカルト:際限なき「コントロール願望」のゆくえ』PHP研究所、PHP新書、199916日、657円+税 [注×文×索×] →〔増訂〕『科学とオカルト』講談社学術文庫、20071月、760
松尾貴史『オカルトでっかち』朝日新聞社、朝日文庫、199912月、580
泉保也『世界不思議大全』学習研究社、20046月、3800
★◎Wアダム・マンデルバウム/上野元美訳『戦争とオカルトの歴史』原書房、200539日、2800円+税 [注○文×索◎]
W. Adam Mandelbaum, The Psychic Battlefield, 2000
◎一柳廣孝編著『オカルトの帝国1970年代の日本を読む』青弓社、200611月、2000+税
★◎吉田司雄編著『オカルトの惑星:1980年代、もう一つの世界地図』青弓社、2009223日、2000円+税 [注◎文×索×]
★◎●原田実『オカルト「超」入門』星海社、星海社新書、2012524日、820円+税 [注×文○索×]
初見健一『ぼくらの昭和オカルト大百科:70年代オカルトブーム再考』大空出版、大空ポケット文庫、201211月、600+税
 
◆オカルト事典
★◎荒俣宏編『世界神秘学事典』平河出版社、19811130日、3300 [注×文◎索◎年表○]
◎バーナード・W・マーチン/C+Fコミュニケーションズ、たま出版編集部訳『神秘オカルト小事典:精神世界探究のためのガイドブック』たま出版、198310月、1800
Bernard W. Martin, The Dictionary of the Occult
◎サラ・リトヴィノフ編/風間賢二訳『世界オカルト事典』講談社、198810月、2000
Sarah Litvinoff, The Illustrated Guide to the Supernatural
◎フレッド・ゲティングズ/松田幸雄訳『オカルトの事典』青土社、19934月、3200円 (税込)
Fred Gettings, Encyclopedia of the Occult
◎アンドレ・ナタフ/高橋誠ほか訳『オカルティズム事典』三交社、19987月、5000円+税
André Nataf, Les maîtres de l'occultisme
◎ローレンス・E・サリヴァン編/鶴岡賀雄・島田裕巳・奥山倫明訳『エリアーデ・オカルト事典』法蔵館、20024月、8000円+税
Lawrence Eugene Sullivan, Hidden Truths
◎佐藤恵三『ドイツ・オカルト事典』同学社、20028月、4300+税
エルヴェ・マソン/蔵持不三也訳『世界秘儀秘教事典』原書房、20066月、5800
Hervé Masson, Dictionnaire initiatique et esoterique
 

『名医が伝える漢方の知恵』◆二分法について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
丁 宗鐵『名医が伝える漢方の知恵』集英社新書、2013722日、720+税 [注×文×索×]
 
本書は、漢方専門医で日本薬科大学学長を務める著者による。現在、朝日新聞出版のPR誌《一冊の本》に連載されている、著者と南伸坊氏による「テイ先生の診療日」のノリかと思って、読んだ次第。なお、本書も「構成/高木真明・萩原晴一郎」とあるので、明らかに聞き書きによるもの。
 
もしかすると漢方が本当にそうなのかもしれないが、<漢方医学では人の体質をバランスのとれた「中庸」、バランスの偏った「実証」と「虚証」の三つに大きく分けます。この三つの証は体力の充実度、体質や病気に対する抵抗力などを表すものです。>(p.19)とする。<「完璧な中庸」という人はほとんどいません。>(p.22)と断言するからには、基本的に人を「実証」と「虚証」に大別すると考えて間違いないだろう。実際このあとのページではいずれかという観点で述べられている。
 
ちなみに、<実証タイプは体力、気力がみなぎり、病気に対する抵抗力も強い。>(p.19)一方、<実証の対極にある虚証タイプは、体力、気力に乏しく、抵抗力も弱いので病気にもなりやすい。>(p.20
虚証タイプは、マイナスばかりかというと、<実は持久力に優れているので、長期的な仕事に取り組ませればその底力を発揮します。>(p.39
 
大器晩成型の有名人はみな「虚証」タイプだそうである。
たとえば北斎。北斎の号を用いたのは46歳、『北斎漫画』初編刊行が55歳、「富岳三十六景」を描いたのが64歳だったことを理由に、<持粘力のある虚証であり、大器晩成の典型的タイプといえます。>(p.100)北斎以前の時代をご存じないためかもしれないが、20歳で勝川春朗と名乗り役者絵などを描き、21歳のころ既に黄表紙や洒落本の挿絵を多く手掛け、36歳のころには宗理の号で狂歌本・摺物で多く筆をとっていた。北斎は若くして評判を得、しかしそれにあきたらず90歳に至るまで絶えず新しい挑戦を怠っていなかったというべきだ。別に北斎の号を唱えてから始まったわけでもなんでもない。
他の有名人の事例も、人生の後半だけをとりあげているに過ぎず、前半を何も見ていないだけ。
 
そのあと延々と人を二分法で仕分けして、その特徴なるものを説明している。また読者が「実証」と「虚証」のどちらのタイプかを判別する表も設けてある。
しかし、「実証」と「虚証」を区別する表現は非常に曖昧であり、どう突っ込まれても逃れることが可能な分類でしかない。「実証寄りの中庸」とか、最初は「実証」だったが後に「中庸」に傾いた、などと言われれば、どうにでもとれる占い師のご託宣と何も変わらない。トンデモ本と言うべきだろう。
 
二分法の思考方法は、簡便であり、一見わかりやすい。しかし、俗耳に入りやすいだけで、何も語っていないことと同じであるに過ぎない。とりわけ、人を二種類に分けようとする考え方は、ある意味で危険でもある。「友」と「敵」という単純な二分法思考と何ら変わらないのだ。
昔、ある人がこんなことを言っていた。世界には「トマトジュースが嫌いな人」と「そうでない人」しかいない、と。「実証」と「虚証」の二分法もそれと同じでしかない。

『筆跡鑑定人は見た!』◆文書鑑定について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
吉田公一『筆跡鑑定人は見た!:あの大事件の舞台裏』主婦の友インフォス情報社(発売:主婦の友社)2012520日、1500円+税 [注△文×索×]
 
本書の著者は、長年科学警察研究所などで文書鑑定を務めてきた。その経験から、筆跡や印章、文書改竄、偽札に至るまで、さまざまな文書鑑定事件(大事件はごくわずかだが)をエピソード豊富に紹介する。
全体に次のような目次構成。
 第1章 筆跡鑑定
 第2章 印章鑑定
 第3章 不明文字・改ざん文書鑑定
 第4章 印刷物・複製文書鑑定
 第5章 文書鑑定雑学集
 
本書では、巷の鑑定人の問題ある鑑定について、随所で批判を繰り返している。
例えば、コピーでは正確な鑑定はできないし、あえて行っても判断を誤りやすい。<物理的な状態が再現されないデメリットがあることは、認識されなければならない。>(p.69)もちろん、FAXは論外である。<FAXでは字画の反りの有無や終筆をはらうかとめるか、一字画の中の筆圧の強弱、筆順を把握するための字画の上下関係など、筆跡鑑定で欠くことのできない検査が不可能である。>p.74
にもかかわらず、コピーやFAXで堂々と筆跡鑑定を行う輩がいることを痛罵する。
 
科学警察研究所が標本筆跡の収集に取り組んだのは1974年からだったが(p.78)、その前年には<書きぐせを総称して「筆跡個性」と呼び、字画や点画の形、位置、字画相互間の長さ、間隔、交差や接合する部分の位置、筆順や逆運筆を含む運筆方向などの筆跡個性を分析して分類した。>(p.83)つまり、このような各所に、筆跡の個性(書きぐせ)が現れるわけだ。
 
偽札に関連して、日本銀行券(ちなみに「紙幣」ではない。紙幣は政府の発行になるものに対し、あくまでも日本銀行の発行だから:pp.246-7)などの本物の証しがいくつか紹介されている。例えば、<日本銀行券は地模様の中に「ニホン」のカタカナ文字がある。…隠し文字は銀行券ばかりでなく五百円貨幣の表裏面にもあって、こちらはアルファベットの「NIPPON」がばらばらで刻印されている。>(p.248
本書には具体的に日本銀行券のどこに隠し文字があるかは書かれていないが、村岡伸久の『偽札百科』(pp.III-VII)には具体的な場所を図示してある。
 
ちょっと面白いネタとして、<偽名には一つの特徴があって、偽名のなかに本人の名字や名前の文字が使われていることが多い。…偽名の70パーセントには本名と同じ文字が使われていて、そのほぼ半数には本名と同じ文字が二文字以上使われている。>(pp.258-9
 
本書の中で、特に重要な指摘が日本人のサインについて。
<大部分の日本人は「字をきれいに見せよう」が先に立って、「署名は偽造されないように」とか「自分を証明するためのもの」だとかは、ほとんど意識されていない。署名は護身用の道具であって、他人にマネをされない、独特のものでないと意味がない。>(p.76)何て書いてあるのか読めないくらいでいいのかもしれない。<注意しなければならないのは、いつも同じに書くということである。>(p.77
いまからでも遅くはない。誰にも真似されないようなサインの練習をしようか。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
村岡伸久『偽札百科:隠された真実とは!』国書刊行会、2010910日、1800+税
 
 
◆[文書鑑定]関連ブックリスト
*偽文書関係は別にまとめる予定。
 
吉田公一『文書鑑定の基礎と実際』立花書房、19839月、2000
吉田公一『捜査のための実務文書鑑定』令文社、198811月、2300
◎吉田公一『文書鑑定人事件ファイル』新潮OH!文庫、20018月、676+税
吉田公一『筆跡・印章鑑定の実務:ポイント解説』東京法令出版、20046月、2500
江守賢治『漢字の字体と筆跡鑑定』三省堂、20046月、2400+税
魚住和晃『筆跡鑑定ハンドブック』三省堂20076月、1600+税
根本寛『筆跡事件ファイル:筆跡鑑定人が事件の謎をとく』廣済堂出版、200712月、1400円+税
【本書】●吉田公一『筆跡鑑定人は見た!:あの大事件の舞台裏』主婦の友インフォス情報社(発売:主婦の友社)、2012520日、1500+税

■近刊メモ(2013年9月版 Ver.3)

先に掲載した「既刊・近刊メモ(2013年9月版)」では、近刊がだいぶ欠落していたので、改めて近刊のみ追補して掲載する。 *追記:さらに追補した。紫色の箇所が追加・変更。
なお、近刊の本についてはあくまでも予定であり、タイトル・発売日・価格ともに変更の可能性はある。
 
9月に出た本から】
 
サイモン・シン、エツァート・エルンスト/青木薫訳『代替医療解剖』新潮文庫、9/1840円+税
*『代替医療のトリック』(新潮社、20101月)改題。

■内堀弘『古本の時間』晶文社、9/42200円+税

山田正紀、北原尚彦、フーゴ・ハル『ホームズ鬼譚:異次元の色彩』創土社、9/41700円+税