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『グーグル、アップルに負けない著作権法』◆クラウドプロバイダーについて

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 角川歴彦『グーグル、アップルに負けない著作権法』KADOKAWA、角川EPUB選書、20131010日、1400円+税 [注△文△索×]
 
本書は、グーグル、アップルなどと電子書籍に関して交渉したことから、そういったクラウドプロバイダーの戦略とそれへの対策とを書いた本である。
 
冒頭をこのように始めている。
2012年、株式会社KADOKAWAは、脅威の象徴として“黒船”といわれた海外4クラウドプロバイダー各社と直接対峙した。…夏のカナダのKobo(実際の経営は楽天)に始まり、9月にはアメリカのグーグル、10月のアマゾン、そして12月にアップルという順に――。彼らは世界の電子書籍市場を独占する主要なプレイヤー(モノポリー者)だ。>(p.3
さらにこう続く。
<◎出版社の直営サイトとして、著者と出版者…との日本独特の濃密関係を外国企業に理解させることが出来るか
◎日本語は世界でも稀な縦書き表記である。KADOKAWAグループ傘下9社の推進するEPUB3…を4社がサービス開始時に採用出来るか
4社が求める複数年度契約を単年度に出来るか、…
◎もしも両者間でトラブルがあったときは管轄裁判所を日本に出来るか
およそ14項目におよぶ交渉はどれ一つとっても疎かに出来ず、手を抜くと後々後悔しそうな案件であった。>(pp.3-4
このような書き出しであれば、読者は当然、そのあとの本文中でこれらの案件がどのように解決されたかが書かれていると期待するであろう。しかし、見事にその期待は裏切られ、思わせぶりの前振りは遂に明かされることはない。4社と契約交渉した話はpp.155-161で簡単に触れてはいるが、上記の案件が具体的にどうなったのかの説明はない。<もちろん契約内容に立ち入ることは秘密保持義務に違反するから詳細は語れない。>(p.177)つまり、本書がミステリなら、冒頭に起きた謎が解明されないまま、探偵曰く、クライアントの秘密保持義務に違反するから詳細は語れないとして、終わってしまうわけだ。
 
したがって、本書に対してタイトルに書いてあるような「負けない著作権法」を知ることができるなどと期待してはいけない。そのような言葉など、無知な読者に対する掴みでしかない。羊頭狗肉という言葉が本書の本質を示す。
本書の読みどころは別にあろう。グーグル、アマゾン、アップルといった企業が、<IT業界のビジネスモデルは有料課金か、広告による無料サービスの二つしかない>と思われていたところに、<利益をあげる第3の方法があることを[アップルの]ジョブズが示した。「アップルのエコシステム」を目の当たりに見せられて、グーグルもアマゾンも、さらには場外にいたマイクロソフトでさえ驚愕した。その誰もが考えもしなかった収益構造をジョブズは実現してみせた。>(p.164)という、クラウドプロバイダーの動向を描いた本でしかない。
 
著者は、こういった動きに対抗して、<私は「エコシステム20」を提案する。/エコシステム20はコンテンツ事業者が自らクラウドプロバイダーとなり、アプリ開発者とプラットフォームを作る。/音楽/出版/映画/ゲーム/アニメ/テレビといった日本のコンテンツ事業者が全員参加してプラットフォーマーになる。>pp.185-6)と主張する。そして、次のように断言する。<ジャパン・コンテンツ・プラットフォームの本当の凄みは、顧客IDが国民レベルの「認証システム」に成長すると大きな価値を生むことにある。…3年もすれば国民の大半がユーザーになる。>p.187
ここで遂に著者の本当の狙いが露わになったというべきか。ジャパン・コンテンツ・プラットフォームができた暁には、その顧客IDを国民IDにしようと狙っているわけだ。「国民の大半がユーザー」なら、誰がどのような音楽/出版/映画/ゲーム/アニメ/テレビを見たかは一目瞭然。さらに敷衍して言えば、著者はこのプラットフォームではアップルとは違ってリジェクションはしないと主張しているものの、そんな保証はどこにもない。グーグル八分のようなことは管理側からすれば裏でいくらでもできてしまう。まさにオーウェルの悪夢の到来! 
まあ、恐らくはジャパン・コンテンツ・プラットフォームなどという悪夢は、賢明な日本のコンテンツ事業者の多くが参加しないであろうから、成立しないで済むとは思うが。
 
本書は、株式会社KADOKAWAの会長の書いたものだが、おそらく部下の誰かが編集者としてついたのだろう。しかし、書籍の編集には素人らしく、おかしな箇所が随所にある。
〔例1〕<彼[ウンベルト・エーコ]にとって書籍は調査の道具だ。だから本棚にあることは大きな価値がある。アナログ的と悪口をいわれようが背表紙と腰帯にはネットには代えがたい検索性がある。>(p.40
→日本じゃないのだから、まず「腰帯」なんてついていない(そもそも腰帯なんて言い方は俗称で、帯で十分)。
〔例2p. 77は<イノベーションの連続がこの新世界の宿命でもあるのだ。>の1行のみで、残りは白。ここで第1章が終わるため、次ページのp.78も白。
→まともな編集者なら、はみ出した1行をなんとか前のページ内に収めるものだが。
〔例3〕<出版でいえば、編集者のエディトリアルとはどんな作業か。>(p.148)と書かれたすぐ後に、次のようなエピソードが紹介される。ある女性編集者と有名な芥川賞受賞作家との原稿のやりとりで、<校正したての初稿に誤植があると作家が怒り出した。「もう君の社から出版することは認めない」と印刷物を取り上げたのだ。彼女もまた感情が昂じて、なんと真夜中の飯田橋駅の橋の上でそれを奪いかえしたというのである。>(p.148
→これでは編集者のエディトリアルとは、作家が怒っても原稿を奪いかえすものだとしか読めない。第一、「校正したての初稿に誤植がある」とは意味不明。「初校ゲラにまだ誤植が残っていた」とも考えられるが、株式会社KADOKAWAでは「校正したて」でホッカホカの「初稿」(「稿」の字は原稿の意味だから、ゲラではなく、第1稿とも読めるが)とかいうものがあるのだろうか。
〔例4〕巻末に用語集が横組みで4ページつく。これが変なページ順だ。p.307p.306p.309p.308という順に読まねばならない。
→まともに組めば、p.309p.308p.307p.306という素直な順にするだけ。縦組みの本に、横組みページがきたらどうすればいいのか考えなかったんだろうね。
 
余計なことだが、電子書籍の流れを記述した中で、著者は<こうした大きな資産であり、かけがえのない出版物[百科事典や国語辞書]が、技術革新の荒波をまともに受けるという厳しい現実を、出版社や国語学者はどう受け止めたらいいのだろうか。>pp.44-5)と記す。多くの辞典を出している角川学芸出版という立派な出版社もいまは株式会社KADOKAWAのブランドカンパニーになっているのだが、株式会社KADOKAWAの会長職を務める著者にとっては他人事でしかないのだろう。
 
本書は、13.5級、140字詰め、行送り22歯、19/pだろうと思うが、小口までのアキが10mmと版面が紙面いっぱいであり、文字が大きいくせに行間が狭く、非常に読みにくい。電子書籍なんぞに浮かれていないで、紙の本のレイアウトくらい読みやすくしなければ、やっぱり「編集なんか不要だ」論に負けてしまうぞ。

内容も体裁も、
3年もかけて作った本にしては、お粗末としか言いようがない。
 
 
 

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『本の顔』◆装丁について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 坂川栄治+坂川事務所『本の顔:本をつくるときに装丁家が考えること』芸術新聞社、2013107日、1800円+税 [注×文×索×]
 
本書は、<「人と人とのコミュニケーションが装丁をつくる」それを30年間、第一線で実践してきた坂川栄治と坂川事務所による、装丁の教科書>(カバー袖より)。数千冊もの本の装丁を手掛けた中から約180冊を例示して、それぞれの本の装丁ができるまでを解説しているので、「装丁の教科書」と言うのは間違いではないものの、「30年間」はちょっとオーバーか(帯にも「30年間」とある)。本書にもあるように、国書刊行会から出たジョン・アーヴィング『ウォーターメソッドマン』が最初の装丁の仕事(p.49)であるなら、同書の初版は1989年なので、24年もしくは25年間が正確でしょう。
 
ちなみに、同書の編集者は、装丁料として通常料金の3分の1くらいしか提示できなかったため、困った編集者はやおら財布を取り出して1万円札を出し、どうしてもお願いしたいので自腹を切るからと。5冊ほど作った後、他の出版社へ移り、激務のあげく倒れて退社してしまったというp.49
 
本書の構成を記しておこう。
 はじめに
 本ができるまで
 1 装丁の依頼
 2 文字で装う
 3 イラストで装う
 4 色で装う
 5 写真で装う
 6 絵本を装う
 7 紙と印刷
 巻末対談 ①坂川栄治の「装丁」術・・・山口晶(早川書房)と
          ②坂川栄治の「コミュニケーション」術・・・長岡香織(講談社)と
全体で144ページなので、一つ一つの項目が充実しているわけではないが、装丁作品集として見ると、見たことのある本、初めて見る本それぞれに、簡単な種明かしがあったりして面白い。
 
最後の対談に「コミュニケーション」術とある通り、著者はコミュニケーションの取り方を重視する。だから、依頼された本のゲラは読まない主義だ。編集者からは、<装丁のヒントとエッセンスだけを頂き、デザインは常に客観性を保ちたい。本を商品として考えられるだけの距離感を維持するために、あえて読まないんです>(p.8
<その代わりにたくさんの会話をして、気になる点を自分のノートに書き留めながら、イメージを固めていきます。>(p.22
ノートの実例も掲載されている。編集者がどこまで自分が編集している本を熟知しているかが試されるわけだ。最近は、編集者が明らかにろくに原稿やゲラを読んでいないな、という本に出合うことが増えたような気がするので、これは編集者にとっていい訓練かもしれない。
 
25は、装丁の実例を、採用案と不採用案とを並べて、編集者とデザイナーの試行錯誤の跡を辿る試み。これは以前にどこかのデザイン雑誌でもやっていた気がする(装丁ではなくポスターか何かで)。
そこに並んだ装丁を眺めると、坂川栄治らしさといったものは感じられない。むしろ、常に変わっている。この点について、<上の世代[菊地信義や平野甲賀ら]を専門店に例えると、自分たちは時代ごとにやり方を変化させる百貨店型にシフトしていった>(p.137)。だから、<先鋭的なデザインを避けて、角を丸くゆるめたり、デザインとして80くらいのものを目指して、多くの人に届きやすくしている>(p.141)という。したがって、流行にも敏感だ。もちろん、流行は<波乗りみたいなもので、その波に乗るのも乗らないのも自由>(p.136)と考えている。万人向きデザインであるがゆえ、各出版社は依頼したくなり、数千冊もの実績が生まれたのだろう。そういった安定した職人技(プロフェッショナリズム)はとても大事だと思う。
 
最近の面白い傾向として、ネット書店を意識して装丁を作ることがあげられている。ネット書店では表示される表紙の画像サイズが小さいので、文字が見えるようにしたり、帯をはずした書影が多いので、その見え方を意識して作るそうだ(p.136)。
 
巻末対談①で、<打合せでなるべく作家に会いたくないのも、やっぱり主観から入ってしまうかな。>(p.135)と語る。その伝で言えば、本書の装丁を行う際に、この場合の「作家」に該当する著者自身とは別な人間に装丁してもらうべきだった。実際、本書の装丁は、本書に掲載されている数々の本の中でも一番の駄作に終わってしまったと思う。どうも、デザイナー諸氏が自ら書いた本を装丁しようとすると、考えあぐねた末に最悪の選択をしてしまうためか、恐ろしく陳腐な装丁にしてしまう。本書もまたその呪縛を逃れることはできなかったのは残念だった。
 
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
ジョン・アーヴィング/川本三郎・柴田元幸・岸本佐知子訳『ウォーターメソッドマン』上・下、国書刊行会、文学の冒険シリーズ、19892月、各1699円+
*ちなみに、『本の顔』p.49には、2か所に「ウォーター・メソッドマン」としているが、正しくは中黒なし。表紙の画像も同じページに掲載されているのだから、校正時に画像と照合するのは当たり前なのだが。
 

『リストラなう!』◆出版について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
 綿貫智人『リストラなう!』新潮社、2010730日、1300円+税 [注×文×索×]
 
本書は、光文社に勤めていた45歳の男性が、会社が実施した早期退職者優遇措置=リストラに応募して退職するまでの2か月間を記したブログと、それに対するコメントとを合わせて収録したもの。著者名は「たぬきちと人々の輪」という意味の架空の名前で、「たぬきち」はブログの著者のハンドルネーム。
*「たぬきちの「リストラなう」日記」は今でも残っているので、収録拒否などで省略されたコメントも含めすべて読める。ただし、今は「新・リストラなう日記 たぬきちの首」というタイトルに変わっているようだ。
http://d.hatena.ne.jp/tanu_ki/20100329/1269871659
ブログにおいては、最後に書籍化することを明らかにして、コメント収録の是非を問うたため、オプトアウトに対する反発や最初から出版社と組んだヤラセではないかとの批判が殺到し、炎上寸前に(これらは本書には収録されず「あとがきにかえて」で簡単に触れられているのみ)。
http://d.hatena.ne.jp/tanu_ki/20100602/1275447586
 
大手出版社のリストラの実情を垣間見るばかりでなく、出版産業に対するさまざまな考え方の断片も提示される。必ずしもコメントが適切な内容を語っていない場合もあるのだが、出版を巡ってさまざまな立場から、いろいろな意見が投げられる(ただし、本書にはごく一部が収録されているだけだが)。
 
例えば、たぬきち氏はブログで、営業のことがわかっていない文芸書編集者に毒づく。
<文芸書の編集は何をしているんだ。/…/作品の価値、文学史上の立ち位置、読者にとっての必然性、著者と読者の共時性を、本文なんか1ページも読ませずに読者・書店員に伝えることができなければ。それができてはじめて“本を読む”という体験をしようという気にさせられるのでは。>(p.127
これに対するコメントの一つ。MK氏曰く。
<その通りだと思うけど、これって編集だけの仕事じゃないような。それこそ編集と営業の両輪でやらないと。じゃないと、営業は「売れる本だけを売る」人になりませんか?>(p.130
別なコメントも。元店員氏曰く。
<今も昔も読者は変わっていません。ずーと感動を求め続けているんです。なぜ本が売れなくなったのか。それは出版社が読者を欺いてきたからだ・・・と私は思います。>(p.130
 
たぬきち氏による「作品の価値、文学史上の立ち位置、読者にとっての必然性、著者と読者の共時性を、本文なんか1ページも読ませずに読者・書店員に伝えることができなければ。」という考え方は、理想形に過ぎないのではないのか。そもそも出版業が始まって以来、一度でも「読者・書店員に伝えること」なんてできたことがあったのだろうか。もしかするとある特定の/限られた人には伝えられたのかもしれないが・・・。
 
<たとえば返本情報。僕は、「この本はなぜ売れなかったのか」という情報があれば、相当なニーズを呼ぶと思う。だからたとえば、返本作業をするとき、適当な1冊の書誌情報をメモして、「この本が売れなかったのはどこに原因があると思うか」を140文字くらいで残していってはどうか。…/…「売れない本」の傾向がわかれば、すごい。>(p.145
これに対するコメントの一つ。飛比人氏曰く。
<それ一番やっちゃいけない方向じゃ・・・。参考にはなりますが参考にするだけ。真に受けたら終了。90年代以降の漫画週刊誌が「ダメをつぶせば良くなる」と思ってそれやった結果、可もなく不可もなくトゲの無い作品しか編集が通さなくなって、結果暗黒期に入ったと聞きました。>(p.146
別なコメントも。sd氏曰く。
<単純な「売れなかった本リスト」には反対です。編集も営業も委縮してしまい、意欲作が出なくなる。出るのは「確実にそこそこの売上が見込める本」ばかり。>(p.147
 
たぬきち氏の考えはわかる。出版業界以外ならどこでもやっていることだし、またそうでなければ失敗の反省がいつまでもないままとなってしまうのだから商売はあっという間に破綻する。売上目標(売上願望の数字)というのではなく、ある客層がどのくらいのボリュームで存在し、刊行情報が的確に伝わればどの程度の客が購入するか、という予測の範囲に対して、それを超えたか(より売れたか)、超えなかったのか(売れなかった)の評価は必要ではないのか。またその理由(プラスもマイナスも)を考えることも重要だ。その出版物に対する客層の見通しが甘く、適切な規模で存在していなかったのか(つまりニーズが乏しいものだった)。そもそもその出版物の編集が雑であるとか、光る部分がない、などの問題もあったかもしれない。あるいは情報伝達の面で広告宣伝や、書店対策や、メッセージなどの問題がありはしなかったのか。などなど。
「ダメをつぶせば良くなる」という単純な話では済まないのは当然だ。だが、「ダメ」がいつまでも残っていても、ダメは変わらない。違う視点から「ダメ」を考え直さなければ。
 
たぬきち氏曰く。<電子書籍は作って出すだけじゃダメだ。紙の本も作って出すだけじゃダメなのと同じように。/なぜその本が書かれたのか、この本を読む意味は、読んでどうトクするのか、今この本を読むと何が得られるのか、今この本を読む必然性とは・・・そういったことがお客さんである読者に伝わるよう周辺を整理しなきゃならない。そして大勢の読者にその本について語り合ってもらえる場を用意すること、などなどなど。/つまり読者の人生にその本の居場所を作ってやる。それが「本をソーシャル化する」ことだと思う。>(p.356
この本を読むということについて、もっと重層なレベルで考え直さなければいけないように思っている。たぬきち氏流の出版社側の売るための理論武装というのではなく、本と自分との関係性を見直すために。今後の課題としよう。
 
「この本はなぜ売れなかったのか」という問いも、大手出版社の光文社だから、「売れない本」のハードルが違いすぎるのかもしれない。かつて光文社では、<新刊のほとんどは初版3万部スタート。…10万部に達しないと本ではないと、半ば本気で言われていた。編集長の牧野[幸夫]が「30万部までが本、それ以上は流行」と明言を吐いていた。>(新海均『カッパ・ブックスの時代』p.181)もちろん2010年当時の話ではないのだが。ちなみに同書を読む限り、売れた本の話はあっても、当然「売れなかった本」の話はない。
「売れない本」しか携わったことのないがゆえに、もっと少部数の販売でペイしうる出版へシフトすべきだと強く思う。ある意味で、この刊行点数ばかりが右肩上がりの時代、似たり寄ったりのろくでもない出版物ももちろんおびただしく出ているのだが、以前であれば部数が出ないと企画会議ではねられてしまうような出版物も、ひょっとしたら日の目を見ることができるのだな、と思う。多様性こそ、出版の最も大事にすべきことなのだから。
かつて一時期、オンデマンド出版にその可能性を見出そうとした。しかし、オンデマンド出版は少部数再版(復刊)の道具となるばかりで、戦略的に活用しようとする出版社は皆無だった。いまは普通のオフセット印刷で十分に少部数対応も可能である(程度にもよるが)。本書にもカバーに箔押しさえなければ再版できるのに、といった悩みが描かれているが(pp.283-4)、コストと小回りがきくことに裏打ちされた造本仕様は当然のこと。優秀なデザイナーは熟知しているだろうが、その真似をしている大多数のデザイナーは、どうしてもカッコいい銀の紙とか値段に関係なく使いたがる。
電子書籍も、たぬきち氏は舞い上がっているようだが(本書以後は知らない)、少部数出版的な可能性は大いにある。電子書籍には問題が多い。電子書籍はあくまでもフローの産物であって、ストックには適しない(つまり読み捨ての本にはいいが、長年使い続ける本には向かない)。電子書籍をストックした図書館・古本屋は成立することが難しい。フォーマットが頻繁に変わる。デバイスも変わる。プロバイダーが変われば、サービスがなくなるかもしれない(かつてAmazonKindleに配信した電子書籍を不都合があったため、一気に削除したこともあった)。いまこの瞬間に読みたければ電子書籍は向いている。それだけだ。
 
光文社の並河良社長に対しては、著者のたぬきち氏は辛辣。<大殿様[並河社長]はとことん見栄とか外見にこだわる方だったのかもしれない。あの北欧の紙じゃなきゃダメ。グラビア印刷じゃなきゃダメ。紙は良いけどwebはダメ。>(p.260
あるいは、<大殿様は織田信長じゃないけど人事が好きだった。…会社の多くの人が異動を経験した。人事異動は異常な頻度で行われ、各部署の叩き上げ・プロパーはもうほとんどいなくなった。…これは目立たないが会社の体力をかなり削いだと思う。>(p.261
 
本書は、リストラに遭遇した一会社員のドタバタである一方、それが光文社という大出版社の事件なので出版業界の裏を覗く本でもある。どちらかというと前者の興味で読み始めたが、結局後者の関心で読み終えた。
 
ちなみに、先に紹介した新海均『カッパ・ブックスの時代』には、このリストラで同時に退職した著者のはずだが、本書については参考文献にすら挙げられていない。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
新海均『カッパ・ブックスの時代』河出書房新社、河出ブックス、2013730日、1500円+税
 
 

『カッパ・ブックスの時代』◆出版について

某月某日、こんな本を読んだ。
 
新海 均『カッパ・ブックスの時代』河出書房新社、河出ブックス2013730日、1500円+税 [注×文○索×年○]
 
本書は、出版に一時代を画したカッパ・ブックスの歴史であるとともに、光文社私史でもある。著者は、1975年に光文社に入社してカッパ・ブックスの編集に携わり、その後雑誌《宝石》編集を経て、再び1999年からカッパ・ブックスが終了する2005年まで<都合、8年間を「カッパ・ブックス」とともに歩ん>(p.13)で、最後にはたった一人の編集部員となって最後を看取った。
<私はちょうど半世紀続いた、最後の「カッパ・ブックス」の編集部員として、「カッパ・ブックス」とは何だったのか、どのようにして生まれ、どのように成功し、どのように消えざるをえなかったのかを検証しようと考えた。>(p.15
 
本書は、まず光文社の誕生から始まる。194510月に講談社は戦争協力会社として指弾されることから保身を図るべく光文社を設立した。195410月には「カッパ・ブックス」誕生。神吉晴夫はカッパ・ブックスの創刊で知られているために、一見創業社長のように思われていたかもしれないが、当初は出版担当の常務取締役だった(社長就任は1962年)。
カッパ・ブックスは、<「岩波[新書]方式ではなく、無名の著者で、どのような本が作れるのか」というのが編集者たちが常に強く意識していたテーマであった。>(p.10)それと同時に、<カッパに先行して刊行中だった、知識人向け教養路線の「岩波新書」に対して、徹底したわかりやすさに重点を置いた。大衆向け教養路線の新書を企画したのだ。それは新しい読者の開拓でもあった。>(p.40
残念ながら、カッパ・ブックスを、老生はほとんど読んだことがない。昔々に『頭の体操』などを見た程度。「大衆向け教養路線」がどうのという以前に、取り扱われるテーマが無縁だったにすぎないのだが。
 
本書では、カッパ・ブックスの編集上の工夫を教えてくれる。
<神吉が掲げた「創作出版」と呼ぶ、編集者による企画先行の姿勢>(p.40)とは、<原稿を作るにあたって神吉はダメを押す。納得のいくまで、質問する、意見も述べる。それは読者を納得させることにつながるからだ。神吉の「創作出版」は、著者の書いた原稿すら勝手に改ざんする、という評判が一部に湧き上がった。>(p.42
<神吉はサブタイトルを重視した。/「サブ・タイトルは、どちらかというと、その本のテーマが読者に何を訴えようとしているかを表明するのが役目だ。」([神吉]『現場に不満の火を燃やせ』)>(p.43
ただし、当時のメインタイトルは意外に地味、あえていえば凡庸だ。例えば、1955年当時でベストセラー10位に入った4点のカッパ・ブックス。2位『欲望:その底にうごめく心理』、3位『随筆・うらなり抄:おへその微笑』、6位『日本人の歴史1 万葉集の謎』、9位『指導者:この人びとを見よ』。ちなみにカッパ・ブックス第1号である伊藤整の『文学入門』にはサブタイトルがない。
また、神吉は<他社で出版して売れたもののあとを追っかけるのは愚の至りだ。>(p.53)と主張した。
あるいは後年に、佐賀潜の法律入門シリーズがベストセラーを連発するのだが、<一項目をおおよそ見開きで処理してゆくというのは、当時画期的な方法だったようだ。>(p.104
 
60年代にカッパ・ブックスは黄金時代を迎える。その牽引車となったのが、1963年、入社3年目にして早くも編集長に就任した長瀬博昭だった。カッパ・ブックス初のミリオンセラーとなった岩田一男の『英語に強くなる本』は、長瀬がまだ入社2年足らずだった時に編集した本だ(pp.74-7)。「カッパ・ビジネス」を成功させたことにより、<ビジネスマンという言葉が生まれたとも言われている。>(p.89
編集者の上野征洋によれば、<長瀬は神吉と違い、プロデューサーではなくイノベーター。あらゆるものを変えたかった。…本はとっておくものから、捨てる(消費する)ものへ変えた。大量生産と大量消費時代にピタリはまったベストセラー。長瀬はよく、そのことを判っていた。そして『マンネリズムが最大の敵だ』とよく語っていた。>(pp.102-3
 
また別なときには長瀬はこう語ったという。
<企画者が読者であっては良い企画は生まれない。読者をはるかに凌駕する知性と、そこから出てくる問題意識がなければ、こんな所に居てもしょうがないんだ。企画を考えるのに、読者調査など不必要。企画は自分の心の中にある。その心の底を直視できる勇気が必要である。>(p.105
長瀬は決してアンチ知性主義ではなかった。上記の上野によれば、<長瀬の基礎教養は深く、ペダンチックで、世の中をあっと驚かすことに喜びを感じていた。>(p.115)という。自らの深い知性によって、編集者に対し「読者をはるかに凌駕する知性」を求めていたのだ。それから生まれる企画が、「大衆」向けであったところにアイロニーを感じるのだが。
 
光文社にとって不幸だったのは、1970年に光文社争議が勃発したことだ。組合は神吉の退陣を要求。無期限スト決行の3日前に神吉は退陣するも、スト突入に。その後、会社側の暴力団(住吉連合幸平一家)の力を借りたロックアウトなどを経て、1975に裁判で組合が全面的な勝利を勝ち取り、翌年11月に遂に闘争終結となるも、その間の泥沼状態は編集部門に限っても惨憺たる状態が続いた。見切りをつけた人材の流出は後を絶たなかった。祥伝社(「ノン・ブックス」他)、ごま書房(「ゴマブックス」他)は、光文社を退いたメンバーによる出版社であり、他にも青春出版社の「プレイ・ブックス」、KKベストセラーズの「ワニブックス」、主婦と生活社の「21世紀ブックス」などは、カッパ・ブックスのDNAが伝えられたものだ。
 
光文社は変わってしまった。著者が1975年に光文社に入社したとき、《JJ》が創刊された。<数号で廃刊か、というところまで追い詰められていたが、「ニュートラ」や「ハマトラ」特集でブレイク。…以降、光文社はファッション誌に入る広告で潤うようになる。>(p.182
その功労者こそが、後にカッパ・ブックスに引導を渡すことになる並河良だった。
 
長瀬はいったん会社を離れるかと見えたが復帰。経営陣のなかにはうとむ輩もいたらしいが、1982年にカッパ・ブックス編集長に再び返り咲いた。
<そのときのスタンスがじつに明確だった。①反近代、②身体性、③時間よりも空間を、といったものだ。…徹底的に近代の産物を全部相対化しよう、身体性を回復しよう、そのスタンスを2年間貫いた>(p.197
だが、わずか2年で長瀬は社内の権力闘争に敗れ、役職を解かれてしまう。1994年には定年退職で社を去る(20001月、カッパ・ブックスの終焉を知ることなく永眠)。
 
1996年春、地下2階地上10階建ての新本社ビル完成。前年には、光文社創立50周年を記念し、10億円を投入して「光文社シエラザード文化財団(現:光文社文化財団)」を設立。見た目には光文社は順風満帆だった。
ちなみに、老生がごく短期間光文社と関わりをもったのは、今から思うと新本社ビルができて間もなくのころだったようだ。
 
著者が、月刊誌《宝石》が休刊に追い込まれて、19998月にカッパ・ブックスの編集部に戻ると、<カッパ・ブックスの力は、すっかり地に堕ちていた。なにゆえここまでそのブランド力が低迷したのかと思いつつ>(p.220)編集業務を担当。
しかし、20008月に就任した並河良社長は、<“己の美学”に従う人らしい。就任直後から、次々と、やや強引ともみえる政策で、それまで稼いできた財産が、みるみるうちに失せて行くこととなる。…/彼の任期の8年間で、あれよあれよという間に、会社は屋台骨がぐらつき、結果的には、創業以来初のリストラ、それも50人規模という、大ナタを振るわないと経営が立ち行かないところまで追い詰められていった。>(p.224
なによりも<並河は社長就任以前からカッパが嫌いだったという。その名前もマークも、である。並河の美意識に反していたからだ。>(p.228
 
折からの新書ブームで、光文社新書を20014月創刊。アラン・チャンのデザインは博報堂が提案したもので、並河社長が採用した(p.229)。
<一度落ちたブランドはダメ>(p.233)と並河社長から否定され、遂に20055月いっぱいで「カッパ・ブックス」編集部は廃部に。同年10月光文社創立60周年を迎える。
累積してきた赤字に、2008年のリーマンショックによる広告収入激減が追い討ちをかける。遂にリストラの実施。著者は一番に退職届を提出する。
 
著者は、カッパ・ブックスがなぜ「消えざるをえなかったのか」という問いに対して、必ずしも明確な答えを出してはいない。70年代前半の光文社争議での人材流出とそれに伴うカッパ・ブックスの編集スタイルのノウハウ流出、並河社長のカッパ・ブックス嫌いだけではないだろう。
カッパ・ブックスは、結局その「マンネリズム」に敗れ去ったのではないだろうか。「読者をはるかに凌駕する知性」の欠如と言ってもよい。あるいは「世の中をあっと驚かすこと」がないからかもしれない。今の新書の第4次(?)ブームは、いずれもすべて壮大なマンネリズムとなっているだけに、ある日次々に突然死がやってこないでもない。
 
 

プロフィール

夢幻庵主人

Author:夢幻庵主人
隠居生活続行中。

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