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『ベルリン・オリンピック1936』◆ベルリン・オリンピックについて

某月某日、こんな本を読んだ。
 
デイヴィッド・クレイ・ラージ/高儀進訳『ベルリン・オリンピック1936:ナチの競技』白水社、2008810日、3500+税 [注○文(注に)索×]
David Clay Large, Nazi Games : The Olympics of 1936, 2007
 
本書は、1936年のベルリン・オリンピックの位置づけや評価が<きわめて混乱している>(p.23)ので、<新しい見方を提示するだけではなく、曖昧さを一掃する>(p.23)ことを目指した本である。書簡をはじめとした未刊行資料を発掘してエピソード豊かに史実を示し、近代オリンピックの欺瞞性を明らかにする。東京招致決定を愚かにも喜んでいる人々こそ、読むべき書である。そこにはナチ・オリンピックと似た構図が透けて見えるであろう。ベルリンに決まったとき招致をバルセロナと争ったのだが、今回の東京も同じスペインのマドリードと争って勝ち取ったのは奇妙な暗合なのかもしれない。
 
近代オリンピックの欺瞞性の一つが聖火リレーである。スタジアムにおける聖火自体は、アムステルダムやロサンゼルス大会などでも既に実施されていたが(p.87)、聖火リレーはベルリン大会が最初であった。
1936年のオリンピックの聖火リレーは、近代オリンピックのでっち上げられた伝統の中の「でっち上げられた伝統」だった。古代の競技には、そんな聖火リレーなどなかった。その点になれば、ベルリン・オリンピックに先立つ10回の公式夏季オリンピックのどれにもなかった。>(p.9
それではなぜナチ・ドイツは聖火リレーを「でっち上げ」たのか。<ドイツが始めた聖火リレーは、間もなく始まる競技に対する関心を高めるだけのものではなかった。それは、ある理念上の非常に重い荷を負っていた。/…聖火リレーは、南東および中部ヨーロッパに新生ドイツを宣伝するものに変わった。その地域は、ナチの生活圏(レーベンスラウム)を提唱する者が欲しがっていた地域だった――そして、やがてドイツの国内軍によって蹂躙された。オリンピアからベルリンに聖火を運ぶという一見無害な行事は、その後のあからさまな侵略を予示するものだったのである。>(p.9Lebensraum「生活圏」は「生存圏」と訳して欲しかったが)。一説には、聖火リレーはドイツがこれから侵略するためのルートを探るためだったともいう。
 
欺瞞性としては、政治との関係が挙げられる。IOCは常に政治とは無関係だと主張するが、オリンピックほど政治性の色濃いものはない。まさに1936年のベルリン・オリンピックこそ政治性の極致であり、その後のモスクワ・オリンピックに対するアメリカ等のボイコット(ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで)などで常に尾を引いている。また国旗掲揚=ナショナリズムの発揚は政治と密接な関係にあることは言うまでもない。
ナチ・ドイツはスポーツと政治は密接な関係を持つと考えていた。<何人かのナチのスポーツ関係の役員は、スポーツは政治と無関係であるべきだという考えに激しく反対した――その理念は、近代オリンピック運動が、必ずしも現実にではないにせよ原則としていたものだった。>(p.93
そもそもヒトラーは、1933年に首相になる直前でも、<オリンピックを、「フリーメーソンとユダヤ人の陰謀」と非難した>(p.76)のであり、<「ユダヤ主義に汚れた芝居など、国家社会主義の支配するドイツでは上演できないだろう」と非難していた>(ダフ・ハート・デイヴィス『ヒトラーへの聖火』p.14)のである。さらに<ナチは20年代の初め、祖国にヴェルサイユ条約という「軛」をかけた連合国の選手をドイツが競うのに反対した。また、「アーリア人」がスラブ人、黒人、ユダヤ人のような「人種的劣等民族」と競うのにも反対した。>(p.88
しかし、ヒトラーは、オリンピックが政治的に有用であることに気づいた。<オリンピックがナチにとって重要だったのは、オリンピックを主催して成功することによって、第三帝国は、国内では経済的に発展しつつあり、国外では尊敬の念を勝ち取りつつある平和国家という印象を与えることができるからだった。>(p.162)ひとたびオリンピックの有用性に目覚めると、たちまち国家を挙げて全力で推進し、英米で起こったボイコット運動に対しては、やむなく亡命したユダヤ人アスリートを呼び戻したり、ユダヤ人排斥の実態を覆い隠したりしてでも開催を維持したのであった。
<第三帝国における人種的不正を見て見ぬふりをしようと全力を尽くしていたIOC>(p.127)は、ボイコットなどあってはならなかった。アメリカでボイコット運動が盛んになった時、後年(1952年)IOC会長になるエイヴェリー・ブランデージは、<自分への反対を、オリンピック自体に対する攻撃、また、歪んだ性格の産物と解釈した。ヒトラーのもとのオリンピックに対する主たる反対がユダヤ人からのものであるという事実は、重要な意味を持つことになった。というのも、ブランデージはすぐさまそうした反対を、オリンピックという企て全体を覆そうとするユダヤ人の悪魔的な陰謀と思い始めたからである。>(p.108)ブランデージの強迫観念となっていたのは、<「オリンピックは続かねばならない」>(p.516)の一言だった。ブランデージは戦後になっても<人種的・政治的偏見>にとらわれており、<人間の理解を根本的に欠いていた>(デイヴィス同書p.250)と批判されている。
<ベルリン大会の訪問者の大多数が、訪独中にユダヤ人弾圧の証拠をほとんど目にしなかったという事実は、弾圧がなかったことを意味しない。…人種的偏見をおおやけの場で示すのを控えようとし、ユダヤ人を公然と襲わなかった。>(p.342)に過ぎず、治安維持と迫害は見えないところで強化されていたのだった。
 
欺瞞性としては、IOCは建前として個人間の競技であるとした。<オリンピックは厳密に個人間の競技であるという作り話にしがみついていたIOCは、国家別メダル獲得数を公式の表にしないように仕向けてきた>(p.446)のだが、しかしながら、国家単位での参加であり、結局は国家の威信発揚の舞台と化している。
<彼[クーベルタン]は、近代オリンピックは、個人の運動能力と、より強く、より速くなりたいという人間の意欲を競うものと主張したが、国の代表選手として参加するよう競技者に要請することによって、その原則を無効にした。その結果、オリンピックにおいてナショナリズムが強力な役割を演ずることとなった。次第にオリンピックは、一国の活力の標尺と見なされるようになったのである。>(p.27
 
欺瞞性としては、商業化、あるいはオリンピック開催による収益確保という問題がある。のちにIOCの委員となりベルリン大会のドイツ式委員会の会長となったテーオドール・レーヴァルトは、資金を出し渋るベルリン市当局者に対し、<大会がベルリンに大きな経済的利益をもたらすのは間違いないと反論し、1000万マルク儲かると推定した。>(p.77)ベルリンの前のロサンゼルス大会は、<利益を上げた(約15万ドル)唯一の最初のオリンピックとなった。>(p.85
また、<広告が許されたのは、オリンピック史上でそれが最初ではなかったが、ドイツはそれまでのどの国よりも遥かに多くの商業上の権利を売り、ドイツのオリンピックは五輪を商売にするうえで新たな基準を作った。>(p.176
そしてまた東京でも、根拠の曖昧な「経済的利益」なるもののアドバルーンに事欠かない。算出方法も曖昧だから、仮に結果として達しなくともいくらでも数字を入れ替えることは可能だ。第一、終わってしまえば誰も覚えてなどいない、と高を括っているのだから。
 
欺瞞性としては、招致活動自体の問題もある。前回、石原慎太郎が主導で招致活動を行い、巨額の使途不明金がでたものの、追及がうやむやに終わってしまったことは記憶に新しい。今回の招致活動の実態がどこまでクリアに明らかになるか不明だが、恐らく期待するだけ無駄なことだろう。
<もちろん今日では、オリンピック招致に関連してあらゆる不正が行われることに、われわれは慣れっこになっているが、オリンピックの草創期には、こうした類いの裏の駆け引きは稀だった。>(p.80
 
欺瞞性としては、プロの参加という問題がある。実際、ベルリン大会においていくつもの競技でアマチュアではないことを理由に優勝や出場資格がもめたりした。しかし、一方で、射撃競技や馬術はそもそも軍と不可分であり、クーベルタンが軍を引き入れるために第1回から射撃競技を導入したのだし、馬術に至ってはベルリン大会では全員軍人が参加していたほどだ(p.434)。軍人はプロそのものだ。
 
ベルリン・オリンピックにおいてユダヤ人弾圧を覆い隠した欺瞞性は非常に大きい問題であったのだが、ひるがえって日本の欺瞞性は何か。もちろん、放射能汚染水漏れが続いており、海洋汚染が止まらない事態になっているにもかかわらず、安倍とかいう首相はIOC総会で「コントロールされている」と虚偽の断定をしたことだ。東電ですら、コントロールできていないと認めざるを得ないほど深刻な状態であるにもかかわらず。
これからも2020年に向けて、さまざまな欺瞞の積み重ねが進行していくのだろう。能天気なマスコミに踊らされて、国民はほとんどだれも気がつかないだろう。恐らくは、「ナチスからあの手口学んだらどうかね」と言った麻生なる副首相のもと、当然ベルリン・オリンピックの手口も学んでいくことは間違いない。
新たな欺瞞を照射する鏡として、隠れナチスの手口を知るために、本書を読むことをお勧めしたい。
 
本書は、ベルリン・オリンピックにまつわるトリヴィアなエピソードには事欠かない。
例えば、オリンピック村の近くには湖や池が点在していたが、<大会が始まる1年前、軍の化学者はすべての湖と池にスプレーで殺虫剤を撒き、その一帯の蚊を全滅させた。>(p.244
あるいは、<ヒトラーは、…規則正しく散歩することと、右腕を長時間挙げること――その技で自分は金メダルをもらう資格があると、のちに彼は冗談を言った――以外、あらゆる本格的な運動は避け>(p.91)ていた。
 
残念ながら出典を示す注記には、邦訳書が既にあっても示されていない。例えばリーフェンシュタールの『回想』や、ダフ・ハート・デイヴィスの『ヒトラーへの聖火』(p.2523で邦訳書の存在自体は追記されている)など随所に出てくるが、参照しなかったものとみられる。
 
なお、文中で触れた本は以下の通り。
ダフ・ハート・デイヴィス/岸本完司訳『ヒトラーへの聖火:ベルリン・オリンピック』東京書籍、シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション21988517日、1600
レニ・リーフェンシュタール/椛島則子訳『回想:20世紀最大のメモワール』上下、文藝春秋、199112月、各2300 (税込)→文春文庫、19957月、750 (税込)880 (税込)
 
 
 
◆[ベルリン・オリンピック]関連ブックリスト
 
◆ナチスのオリンピック
リチャード・マンデル/田島直人訳『ナチ・オリンピック』ベースボール・マガジン社、1976年、1800
Richard D. Mandell, The Nazi Olympics, 1971
●ダフ・ハート・デイヴィス/岸本完司訳『ヒトラーへの聖火:ベルリン・オリンピック』東京書籍、シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション21988517日、1600 [注×文×索×]
Duff Hart-Davis, Hitler's Games: The 1936 Olympics, 1986
                   *残念ながら訳書では出典が一切明記されていないが、幅広い資料を用いたように思える。
沢木耕太郎『オリンピア:ナチスの森で』集英社、19985月、1600集英社文庫、20077月、648
【本書】★●デイヴィッド・クレイ・ラージ/高儀進訳『ベルリン・オリンピック1936:ナチの競技』白水社、2008810日、3500円+税 [注○文(注に)索×]
David Clay Large, Nazi Games : The Olympics of 1936, 2007
 
◆レニ・リーフェンシュタール
グレン・B.インフィールド/喜多迅鷹・喜多元子訳『レニ・リーフェンシュタール:芸術と政治のはざまに』リブロポート、19816月、2400
Glenn B. Infield, Leni Riefenstahl : The Fallen Film Goddess
レニ・リーフェンシュタール/椛島則子訳『回想:20世紀最大のメモワール』上下、文藝春秋、199112月、各2300 (税込)→文春文庫、19957月、750 (税込)880 (税込)
Leni Riefenstahl, Memoiren
●平井正『レニ・リーフェンシュタール:20世紀映像論のために』晶文社、19999月、2300
●瀬川裕司『美の魔力:レーニ・リーフェンシュタールの真実』パンドラ(発売:現代書館)、20018月、3500
●ライナー・ローター/瀬川裕司訳『レーニ・リーフェンシュタール美の誘惑者』青土社、200210月、2800
Rainer Rother, Leni Riefenstahl : Die Verfuhrung des Talents
スティーヴン・バック/野中邦子訳『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』清流出版、20097月、2600
Steven Bach, Leni
 

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